同じことを言われて思ったこと
言葉の企画の4回目に参加をした。みなとみらいBUKATUDOで行われているこの講義、思えばもう半分が終わり折り返し1回目も終わってしまった。
去年の企画メシ4期応募者内だけで集った「言葉の企画」0期(?)の30人の1人でもだった僕にとってはもう9回目だった。
4回目の課題は「エッセイを書く」ということ。
僕が出したのは「今の僕をつくったもの」(以下①)、「青木柚という「人」を多くの人に知ってほしい。」(以下②)の2点だった。
去年も同じように『noteに記事を書く』という課題があったのだが、それには「乗り越えた先に、飛び越えるものがあった。」(以下③)という記事を書いた。
改めて自分で読んでみると「あぁ、あまり変わってないなぁ」と思ってしまった。
①のターゲット(読者)は誰だろう。思えば①はターゲットをちゃんと定めていなかった気がする。今強いていえば、言葉の企画生。それか、ヒカルの碁ファンか小畑健ファン。と言った感じだろう。
阿部さんからは
カメラがある一定のところから捉えてるようで、
もう少し踏み込んで、繊細な部分まで、
感情をかけるともっとひきこまれると感じる。
とコメントをもらった。「一定のところで捉えてる。」確かにそうだ、と思った。
ヒカルの碁で作られた自分は、「本名」としての「自分」だった。でも、今は「本名」でというよりも「なおぽんちょ」と生きている。だから、「なおぽんちょ」としての僕が、「ヒカルの碁」を見ていた。1つ間があるし、ある意味別人扱いしている部分もある。だからこそ、どこか俯瞰な部分で見てしまっていた部分があるのかもしれない。
②のターゲットは、不特定多数の大人数。または、芸能関係者。のつもりが
本人へ、が一番強かった。
阿部さんからは
あなたを知らない人に対して、
いいと思うひとやことを伝える際には、
なぜ好きか、どうして好きか、どこが好きなのか、
一つ具体的なエピソードを盛り込むことや、
じぶんの感情をこまかく丁寧にみつめて、
言葉を探していくことが必要になると思う。
とあった。
今回の書き方は、確かに具体的なエピソードを、深く切り込んでいなかった。そう考えると、ターゲットには、届かないのだな、と感じた。
ただ、記事を書いたその日のうちに、「友人から教えてもらって読みました、ありがとうございます」「家族にも教えました」「絶対頑張ろうと思いました」と青木柚本人から言ってもらえ、それだけで、書いて良かったと思ったのは、少し的外れかもしれないけど、いいことなのかもしれない。
そして昨年の③。ターゲットは舞台「みみばしる」オーディションに参加した人。しようとして応募しなかった人。リスナー。①②と違うのは、ターゲットが狭くしっかりと定められていた、ということ。
その時の講評は(この時は口頭だったのでメモ)
距離がある人でも、読んだ時に伝わること。
自分を第三者目線で見ること。
客観性を持つこと。
だった。
言われていることが、同じだった。むしろ、前の方が上手く記事としては書けていたのではないか、と思うくらいだった。
そして、②と③の記事を改めて読んで思ったのは、
ちゃんと書こうと初めはしているのだが、最終的に感情的になってしまい、本来書こうとしていたものを書けていない、満足は満足でも自己満足しかしていないものになっている、ということが多い。
ということだった。このスタイルは、他の記事でも多い。
じぶんの書く文章はこういうスタイルだ、
と決めつけないほうがいいかもしれない。
こう阿部さんにも言われた。気付いていた。けれどもどうしても最後まで上手く書けない自分がいて、結局最後は逃げていたのだ。と、こういう「逃げ」という言葉もよく使ってしまうのだが。
好きな書き手の書く文章をたくさん読み、
吸収しつづけてほしい。
阿部さんからこう書かれていて、好きな書き手って誰だろう。いたっけなぁ。と思ったけれども、別に文章ってこういう記事のことだけじゃないし、
小説でも詩でも脚本でも、文章なんだ、って改めて気付いた。それなら、いる。
ただ、どちらにせよ「読む」が大切なんだ。そういえば本は買っているけれど、最近活字を読まなくなっている。いや、人のnoteは「読んで」いるか。ただもっと、「読む」を増やさないと。
たまにこのnoteでやってしまう「#殴り書き」は、あまりやらないようにしよう。
僕を知らない人が、僕がどういうことをしているか、どういう気持ちでいるのか。もっと知ってもらえるように。
…?
終わり方が雑な(殴り書いている)ような気もするし、結局ちゃんと自分をさらけ出せていない気もする。恥ずかしいわけじゃないんだ。なんでだろう?昔の方が、出来ていた気がする。たぶん、殴り書き系で、何も考えず、訴えかけるようにだけで書いていたからかな。そこを、別の書き方で書けるようにならなくちゃ。越えていかなきゃいけないんだ。そう思いながら、次へいこう。
…うん、また同じような書き方になってしまったなぁ。
※この記事は「またおなじこと言われた」と同じことを、別の書き方(?)で書いたものです。