助かりたかったわたしへ
倒れれば地面と思っていた場所に掌があり
声を出し泣く
はらだ
-----------------------------
終電で帰ってくると、改札を出て所にうずくまっている女の子がいた。
両腕で顔を隠してぎゅっと体を縮こまらせて。
呼吸が荒いので、きっと飲みすぎたんだと思った。
他人事とは思えない事態なので声をかけた。
ちょうど近くに行きつけのバーもある。
「ちょっと休めるバーにでも連れて行こうか?」
「いえ、大丈夫です」
苦しそうにしながら、彼女は答えた。
ほっといて欲しいんだろうな、とも思ったので
近くでミネラルウォーターを買って彼女に渡した。
私がこれから行くバーの場所と交番の場所を教えてその場を去った。
バーで、何杯か飲んでから
もう一度駅に戻った。
彼女もミネラルウォーターももう無くなっていた。
困っていそうな人がいれば
なるべく声をかけるようにしている。
良い人だと思われたい下心はもちろんある。
だけど、私のそれはなんというか
恩返しのようなもののように感じている。
いつだって誰かが助けてくれた。
「10万円なら理由聞かないでいつでも貸すよ」と
言ってくれた同級生。
妊娠中、つわりにより道端でうずくまっていた時に
「大丈夫ですか?」と声をかけ
タクシーに乗せてくれたご婦人。
いつだって色んな人に助けられて生きてきた。
小学生の時に、初めていじめを受けた。
一番仲が良いと思っていた友達からいきなり嫌われ
グループから阻害された。
小さな意地悪はそれまでもあったし、
私もやってしまったことがあったと思う。
でも、明確ないじめというのはそれが初めてで
すごく恥ずかしかった。
いじめられる自分が恥ずかしくて悔しくて
誰も味方がいないことが虚しかった。
家族に相談しても「負けるな」と言われ
心は逃げたいのに、学校には通わなくていけなくて
心の底から、人を憎んだ。
いじめの張本人のことが大嫌いで、
消えちまえと思った。
消えちまえと思う自分も消えてしまいたかった。
時折、夜になると電話が鳴った。
携帯電話もない時代。
家の電話にその子はかけてきてくれた。
その子は、いじめの張本人と同じグループにいる女の子だった。
大体の子が私への悪口や陰口を言っている中で
その子だけはそれを言わないで、受け流すようにしてくれていた。
「ごめんね。いじめをやめさせることも
一緒にいることも出来なくてごめんね」
その言葉に、どれだけ救われたか。
夜、自分の部屋に1人でいると
どうしたら明日が来ないか
どうしたら消えられるか
そればかりを考えていた。
倒れてしまいたかった。
なぜか、枯れたように涙は出ず
ご飯を食べても味がなかった。
消えたい。つらい。どうして生きてなきゃいけないの。
そんなことを毎日考えた。
そんな夜に鳴る電話の音は救いだった。
その電話があったから
倒れても、嘲笑う人だけではなく
受け止めようとしてくれる人もいるのだと思えて泣けた。
その電話があったから
「何があっても、どこかから救いの手が来る」と
信じられるようになった。
そして、私がその救いの手になれれば嬉しいとも
思うようになった。
そうして、成長して大人になる過程の中で
実際にたくさんの人に救われてきた。
そんなたくさんの人たちへの恩返しをするために
私は親切な隣人でいたいと思う。
そうじゃないと、今まで享受した
受け止めきれないほどの親切に押し潰されてしまう。
私と関わってくれるたくさんの人の
優しい気持ちのおかげで
私は今も生きている。
-----------------------------
生きている あの時死なずに手のひらの
温もり覚え生かされている