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愛し続けるのは無理である

愛してる愛していない
花びらの数だけ愛があればいいのに

俵万智

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夢のないことを言うようだが愛には限りがある。

現在、私が進行形で読んでいる内館牧子氏の名著のタイトルにもなっている。

『愛し続けるのは無理である』

これほどまでにサクッと爽快に、
人間の愛について現している言葉もなかなか無いものだ。

愛には限りがあるからこそ、
その限りのある愛を得る、与えることにドラマが生まれる。

そして行き交わした愛を続けることは
不可能ではないにしろ、お互いの弛まぬ努力の賜物だ。
たった二人の人間の間に、新鮮な愛はそういくつも生まれてはこない。
生まれてお互いの間にその愛を循環させながら熟成させて
どんどん形を変えて育むのが愛なのではないだろうか。

運命の人がいるとして
その人と出会う奇跡に相見えたとして
そこに生まれた愛を継続させるのは難しいのだ。

表題短歌のように
「愛してる愛してない」と花占いに興じたうら若き頃
最後に摘んだ花びらが「愛してない」と出れば
また新しい花の花びらを摘めた。
そんなことが出来たのは、愛は限りないものだと信じていたからだ。
「いつかきっと」を信じていられる若さがあったからだ。

朝のニュースの星占いで
「今日は良い出会いがあるでしょう」と出たところで
あなたが家から一歩も出ないのであれば
良い出会いに出会うこともないのと同じように
「いつかきっと」を待っているだけでは何も起こらないことを
大人の私たちは知っている。

そして、大人の私たちは
ちゃんと「愛してる」で終わる枚数の花を選ぶことを学んでいる。
それは狡さではなく、賢しさだ。

高校生の頃、友人が
「恋をする時って、この人のことを好きになろう。って決意して恋するよね」
と話していて「わかるー」と相槌を打ったが
本当は(なんて大人な考えなんだろう)と感動した。
牡羊座の私は出会い頭の交通事故のような恋しかしていなかった。
それは、「愛してない」で終わる率の高いことも頷ける。

そのうち気づけば「この人のことを好きになろう」
と決意して恋することも出来るようになり
大人になったなぁと嬉しいような寂しいような気持ちになりつつ
そのおかげで結婚まで出来た。

私と夫の間の愛も時間と共に変容した。
新しく何かが生まれる気配は今のところない。
それを寂しいとも嬉しいとも思わず
「花びらの数だけの愛はやっぱり無いなぁ」と実感するばかりである。

これから先、更にどのように変容していくのか
それはとても楽しみなエンターテイメントだ。

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永遠に愛を探してもみたいって
菊の花とり途方に暮れる。


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