見出し画像

したたかは強かと書く。
器用さは己の武器だ
楽しく生きろ

-----------------------------

僕の婚約者は悪役令嬢だ。

乙女ゲーム『マジシャンズラビリンス』、通称『マジラビ』の登場人物である彼女は前世、そのゲームの熱烈なファンだったらしい。
不幸な事故に遭い、命を落とした彼女はそのまま『マジラビ』の世界で悪役令嬢として生まれ変わった。
彼女がそのことに気づいたのは自身の七歳の誕生日。僕との婚約を両親から告げられた日だ。この国の第一王子である僕との婚約は、彼女にとってこの上ない喜びであるとともに衝撃だった。驚いた拍子に思わずよろけて壁にぶつかり、飾られてあった絵画が落ちて額縁が彼女の頭に激突した。
そのせいで一瞬気を失った彼女は走馬灯のようなものの中で、自分の前世と、ここが『マジラビ』の世界であることに気がついてしまったのだ。
彼女が気を失ったと早馬の報せを受けた僕は婚約者として駆けつけた。ベッドに横たわる彼女の思考が僕に流れ込んでくる。
そう、僕は人の思考が読める特殊能力を持って生まれてきたのだ。
彼女の思考を通して、自分がゲームの登場人物であるということと、いずれ来たる魔法学園の卒業パーティーの最中に彼女を婚約者の座から引き摺り下ろす断罪イベントなるものが発生することを知った。
それを知ったところで僕は別に変わらない。僕は生まれてから今日に至るまでずっと僕で、それは今後も変わらない。そう思っている。
しかし、どうやら彼女はそうではないらしい。
彼女は断罪イベントに怯え、イベント回避のために涙ぐましい努力と僕から逃げる算段を熟考しているのだ。
婚約者として定期的にお茶会や、夜会のエスコートなどで顔を合わせるたびに、彼女のその日までの努力を知る。
彼女の前世が教えてくれる情報では、僕は婚約者がいる身でありながら、巫女と恋仲になり、それに嫉妬をした彼女が巫女に危害を加えたことにより僕の怒りを買って断罪されるらしい。その場合どう考えても、浮気者の僕が一番悪いに決まってる。
けれど彼女の中には良くて婚約破棄、悪ければ断頭台送りというゲーム通りの二択しか描かれていない。そのため、なるべく婚約破棄で済むように頑張っているのだ。
実際彼女は魔法学校に入学した後、聖なる巫女との出会いイベントの後はなるべく友好な関係を築くように、巫女がどれだけ恥知らずなトンチンカンなことを言ってもやっても笑顔でスルーするように心がけている。
そして婚約破棄された後、嫁の行き先がなくなってしまっても領地経営で暮らしていけるように経営や経済の勉強をしている。
いつか婚約破棄や断頭台へ送るはずの僕へは、最大の敬意と礼を尽くし、婚約者として最善であろうと心がける。時折、怯えたような目をしていることにきっと本人は気づいていない。

僕はそんな怯えた目をする彼女が、いつか僕に捨てられると確信して日々努力をやめない彼女が、可哀想で愛おしくて仕方ないというのに。
「婚約破棄」
そう言っても彼女は既にその覚悟を持っているので特に反応はしない。けれど
「断頭台」「罪人」「死刑」などと言う単語には、ビクッと肩を震わせてくれる。
その反応が可愛くてついつい日常会話の中に紛れ込ませてしまう。僕の悪い癖だ。
そう、僕は性格が悪い。
卒業パーティーの日まで僕は、巫女と仲の良いフリをすることにした。
時には彼女との予定よりも巫女を優先することすらあった。
何故か。僕の愛しい婚約者が悲しそうな目をするのがたまらないからだ。
巫女と時間を過ごしても、正直楽しくはない。楽しくはないけれど、婚約者が今日も可愛いと言う話を延々と聞き続けてくれるので助かっている。
そして迎えた断罪イベントが起こるはずの卒業パーティー当日。
僕は婚約者と共に会場の扉を開けた。
その時点で彼女はゲームのシナリオと何か違うことに気づいているようだった。
(ゲームでは、卒業パーティー前日に聖なる巫女のエスコートをするから別行動しようって言われるはずなのに…)と言う戸惑いの思考が流れ込んでくる。そうだろう、戸惑うだろう。
僕は動揺している彼女の横顔を盗み見て、とても幸福な気持ちになる。
王子と婚約者の登場に沸き立つ会場をスマートに横切って、ダンスホールの真ん中に立つ。
心地よい管弦楽の調べの中、彼女に向き合うと「踊っていただけますか?」と手を差し伸べた。
少し怯えながらもその手を彼女は取ってくれた。一曲踊り終えると巫女が笑顔で走ってきて僕の隣に立つ。
やはりか、という思考が流れ込んできて彼女の顔が曇った。
彼女に聞こえないように巫女と二、三言葉を交わし、準備していたものを受け取る。その場から巫女が離れるのを見送ってから彼女に向き直り、僕はひざまずいた。

「僕と結婚してほしい」

巫女から受け取ったのは、指輪の入った小箱だった。
この国に、婚約者に指輪を贈る習慣はないけれど、彼女の前世の世界ではそれが通常だったことを僕は知っている。
自国にはない習慣でありながら、前世の自分が憧れていた『指輪を贈られる』と言うシチュエーション、そして断罪イベントではなくプロポーズイベントが行われている状況に彼女の思考回路は爆発寸前になっていた。
よろめく彼女の左手の薬指に無理やり指輪を嵌めてから、僕はその場にいる全員に聞こえるように高らかに声を張った。

「婚約者殿は喜びのうちに眩暈を起こされているようだ。僕たちはこれで失礼するとしよう」

卒業パーティーなんてどうでもいい。
僕は彼女に伝えなくてはならないことがあるのだ。

会場を出て、庭園の東屋まで彼女をエスコートする。白塗りのベンチに座らせてから僕も隣に座る。豪奢なドレスのせいで少し距離があることが不満だ。

「ここは『マジラビ』の世界であって、そうではないよ」

その言葉に俯いていた彼女は、驚愕したように顔を上げた。

「王子、何故それを」

みるみるうちに顔面が青ざめていく。

「家族と側近しか知らないけれど、僕は人の思考が読める能力があるんだ。けれど、安心して欲しい。今後、君の思考を読み取れなくするように魔法をかけることが出来るから」

「それはとても有難いのですが、あの」

「君の思考からこの世界のことを知った。君が努力する姿に心を打たれて、本当に恋に落ちたんだ。断罪イベントなんて起こさせるわけがないだろう」

出来うる限りの爽やかな笑顔を向ける。

「あの、では…巫女様と親しくされていたのは?」

その時、彼女の思考に今までには出てこなかったもう一つの可能性が浮かぶのを感じた。
彼女の頭に浮かんでいるのは、手のひらにある小さくて四角い機械。そしてその機械の画面に浮かぶ文字の羅列だ。

『新情報解禁⭐︎
いつも『マジラビ』を楽しんでくださっている皆様にお知らせです。
この度、以前から「王子に浮気をされて断罪される哀れな悪役令嬢にも救済を!」とのご要望の多かった『悪役令嬢ルート』の配信が決定しました⭐︎
悪役令嬢ルートでは、卒業パーティーまでの間に聖なる巫女への各キャラクターの好感度を賭けての直接バトルを行う必要があります⭐︎
バトルイベントに突入するには…』

「えっ、でもわたくし、直接バトルなんてしておりませんわ!?」

僕には思考が読めているから彼女のその発言の意味は分かるけれど、はたから聞いていたらとても突拍子の無い発言だ。
いつもならこんなミスを犯す子では無いのにと思うと、どうしても込み上げてきた笑いを止めることなど出来なかった。
大笑いしている僕を見て冷静になったのか、彼女は冷静さを取り戻しつつ、今度は笑い続ける僕にオロオロしている。あぁ、なんて可愛いんだろう。

「君は『悪役令嬢ルート』を恐らくプレイしていないんだろうけれど」

指先で涙を拭いながら、やっと笑い終えた僕は言った。

「僕が『マジラビ』の制作者なら、『悪役令嬢ルート』は『聖なる巫女断罪ルート』にするね」

そう言うと彼女の顔色がさっと青ざめた。

「そんな…」

色々と想像もしていなかった事態が起きて混乱していつつも、とりあえず自身の断罪ルートではなかったことに安心を得てはいたのだろう。
それがまさか、巫女の断罪と引き換えの安心であるだなんて、善良な彼女は考えもしなかったはずだ。
狼狽えて、どうすればいいかと精一杯考えているその顔が可愛い。その顔が見たくて僕はこんな意地悪を言ったのだ。

「この世界は確かに『マジラビ』の世界なのかもしれない」

僕は多幸感の中でそう言った。

「けれど、ここに生きている僕たちは僕たちの選択によって運命を切り開いていくことが出来る。
思考し、行動することで未来は変えられる。だって、今ここにちゃんと生きているのだから」

ドレスが邪魔だが、可能な限り距離を詰めて彼女の手を握る。

「だから僕は、聖なる巫女が断罪される未来などデザインしない。いずれ僕が治める国の大事な民を、ゲームの登場人物だからと言って断罪したりなんてしない」

そう、僕はここに生きている。ゲームのプレイヤーでも攻略対象でもなく、血の通った人間として生きている。生きている限り行動し続ければ、自分で人生をデザインしていけるのだ。
その信念のもとに、僕は僕が見たいから悪役令嬢である彼女の苦悩や苦悶の顔を見続けてきた。自分でも本当に性格が歪んでいるとは思う。けれど、これが僕だ。僕が僕である限り、自分の人生は誰にも委ねたりしない。

「王子…」

僕を見つめる彼女の目に温かみが灯る。

「これからも君と一緒にいると誓おう。僕の求婚を受け入れてくれるね?」

小さく頷く彼女を引き寄せて抱きしめた。

「では、君が気兼ねなく僕と一緒にいられるように思考を読み取れなくするための魔法をかけておこう」

ニコリと笑って、僕は彼女の額に手を充てた。
もちろん、そんな魔法をかけるつもりはない。
だって僕はこれから、僕に怯え続けてきた婚約者殿を恋に落とすという難関イベントに挑まなければならないのだから。
攻略対象のことはより深く知れた方が、ゲームには有利。だろう?

いいなと思ったら応援しよう!