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8月某日、母が亡くなった。
持病はあったものの、それとは関係のない事故のような形で突然に逝った。
人生で初めてパトカーに乗り、警察の方と話している間もなんだか夢の中にいるような心地でふわふわとしていた。
ただ、耳元を飛ぶ蚊の羽音と刺された痒みだけが私にこれが現実なのだと思い知らせた。
どうしよう、と、何をどうしようなのかも分かっていないのにどうしようと思った。

人生で初めての喪主も務めた。
亡くなるまでの数ヶ月、私は母に対して酷い親不孝をしていた。あまり口外するようなことではないので割愛するが、これまでの親不孝と合わせれば「生むんじゃなかった」といつか母に言われた言葉にも思わず頷いてしまえるような親不孝だ。
そんな親不孝の私が、他にいないからという理由で喪主を務めているのはどこか決まりが悪く、決まりが悪いついでに喪服も全然似合わなかった。
全然似合わない喪服で、喪主の挨拶をした。
当日、急に葬儀屋さんから「喪主の挨拶を」と言われたのでもちろん何も考えていない状況で参列者の前に立ち、話し始めた。
何を言ったのか、詳細までは覚えていない。ただ、「生きてるうちは生きなければならない。残されたものは前を向くしかない」と言ったことだけ覚えている。正しいことを言っているようで、少し冷たい言葉のように今は思う。
現実感がないままに、なんだかもう乗り換えてしまったような薄情さを感じる。
けれど、どうしてもそうする道以外が見えないのだ。
死して尚、親不孝者の親である母にはどう聞こえただろう。
何度涙を流しても、その涙がどこか自分のものではないような気がする。
そういえば、母の涙を見たのはいつが最後だったか。果たして見たことがあったのだろうか。
母は美しい人だった。

そこからは怒涛のようにやるべき事務作業が発生するおかげで忙しく、悲しみを自覚する暇がない。有難いことだ。
母の友人たちに、母の訃報を知らせるのも私の役目だ。
泣いてくださる姿に、母が愛されていた事実に、少しずつ私も泣いて良いのだと許されていく心地がする。
許されようとしている自分が浅ましくて、まだ受け入れては駄目だと言い聞かせる自分もいる。
そしてそれらの全てが時間が解決することを知っている自分もいる。

私はどうしても、大丈夫なのだ。
大丈夫であることが、切ないくらい、大丈夫なのだ。
どうしても、前を向くしか方法がない。
母を亡くして、意気消沈した。悲しかった。けれど、可哀想な私にはどうしてもなれなかった。

ごめん。と母に想う。
母だけの娘になれなくてごめん。
何一つ、思い通りにならなくてごめん。
今、大丈夫でごめん。
生きるしかなくてごめん。

本当は、大好きでした。
愛してたよ。ママ。


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