(蔵出し)秘密は大人の必需品
ていねいに歯みがきをする
つかなくちゃいけない嘘をついたあとには
佐々木あらら
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正直者が嫌いだ。
正しくは、正直ならば何でも言って良いと考えている奴が嫌いだ。
「ごめんね。私、思ったこと言っちゃうの」は免罪符にはならない。
毒舌と悪口は別物だ。
行きつけのバーの常連仲間に、学生の頃ものすごく仲良くしていた男の子がいた。
当時、休日はほぼ一緒に過ごし、彼は私のバイトの送り迎えまでしてくれていた。
でも、別に付き合ってはいない。
そんな仲良し期間を数ヶ月経て、私たちはなんとなく一緒にいることが減り
彼はバーに来なくなった。
そのまま数年間会うことがなく、私が社会人になった頃に
またそのバーで偶然再会した。
翌日は休日で、今夜はしこたま呑むぞと意気込んでいた夜だった。
私たちは久しぶりに乾杯した。
ビールから始まり、カクテルを少々。
途中でダーツをして、負ければイェーガーマイスターのショット。
明け方にはベロベロである。
唯一私の家を知っている彼が、送り係に任命された。
よろよろしながら歩いて帰り
近所の喫煙所で2人並んで煙草を吸うことにした。
「1本吸ったら帰ろうね」
昔からここで1本、と言いつつ何本か吸って帰るのが私たちのいつもだった。
その日も数本目の煙草に火を点けた。
私たちは笑いながらキスをした。
それが私たちの初めてのキスだった。
みるみるうちに酔いが冷めていく。
いやいやいや。ちょっと待って。
突如、高速でフル回転し始める私の脳みそ。
走馬灯のように今夜のやり取りがよぎる。
「君、結婚したって言ってたね!?」
やらかした!!と
こちらは顔面蒼白である。
人様の持ち物に手を出してしまった。
一歩距離を取り、「さぁ、帰ろう」とそそくさをと帰路についた。
後日、またバーで会ってしまう。
お互いに気まずい空気はありつつも、お酒の力で会話は続くが
彼の言葉に私は驚愕する。
「こないだのこと、奥さんに話したんだけどさ」
「はぁ!!!!!?????」
狭いバーに響き渡る大声である。
「俺、奥さんに隠し事とか出来ないからさ…」
「馬鹿なの?」
もはや真顔である。
「あのね、あれは私ももちろん悪かったけど
それを奥さんに包み隠さず話してしまうと言うのはどうなのかな。
一見、正直者のようだけど
ただ、自分の心の荷物を下ろしたかっただけの行為だよ?
その重荷、奥さんにも背負わせたって分かってる!?」
「分かってる…けど」
けど、じゃねぇ。
ていうか全然分かってねぇ。
奥さんに全てを話すのも馬鹿。
私にそれを話しちゃうのも馬鹿。
心に荷物を背負えない愚か者で軟弱者だ。
大人にとって嘘はマナーで、秘密は必需品。
無理に嘘をつく必要はないけれど、
言ってはいけないことにちゃんと口をつぐむのはマナー以前に義務。
特にやらかしたのが自分ならば、誰かを傷つけないために秘密にしておくことが最重要だ。
(そもそもやらかさないのが一番だけどね)
つかなくちゃいけない嘘をついて丁寧に歯磨きし
しまっておかねばならない秘密を抱えてミネラルウォーターでも飲もう。
誰でも嘘や秘密は抱えている。
それを腹の中に持ちながら軽やかに笑っているのが大人なのではないだろうか。
とりあえず、「正直者」な彼とはそっと距離を取った。
そもそも私、ミステリアスな男が好きなんだったわ。
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重い秘密の味を紛らわす
ブラック・ルシアンの出番はまだ無い