ミズコシナオ 短歌エッセイ&ショートストーリー
「抱きしめてあげようか?」と声がした。 しゃがみ込んで、顔を膝の上に伏せ、世界と自分を断絶しようと努力しているその頭上に、驚くほど軽やかな声が降ってきた。 外は雨で、そんな中でずっとしゃがみ込んでいるものだから、当たり前のように髪も服もびしょ濡れだ。 軽やかな声はそれ以上何も降らせることはなく、パタパタと雫が布を打つ音が聞こえる。 傘だ。傘が、これ以上濡れないように雨を凌いでいる。 それに気づいて、ふっと顔を上げた。 視界に入るのは差し向けられた紫色の綺麗な傘の半円。一体
8月某日、母が亡くなった。 持病はあったものの、それとは関係のない事故のような形で突然に逝った。 人生で初めてパトカーに乗り、警察の方と話している間もなんだか夢の中にいるような心地でふわふわとしていた。 ただ、耳元を飛ぶ蚊の羽音と刺された痒みだけが私にこれが現実なのだと思い知らせた。 どうしよう、と、何をどうしようなのかも分かっていないのにどうしようと思った。 人生で初めての喪主も務めた。 亡くなるまでの数ヶ月、私は母に対して酷い親不孝をしていた。あまり口外するよう
したたかは強かと書く。 器用さは己の武器だ 楽しく生きろ ----------------------------- 僕の婚約者は悪役令嬢だ。 乙女ゲーム『マジシャンズラビリンス』、通称『マジラビ』の登場人物である彼女は前世、そのゲームの熱烈なファンだったらしい。 不幸な事故に遭い、命を落とした彼女はそのまま『マジラビ』の世界で悪役令嬢として生まれ変わった。 彼女がそのことに気づいたのは自身の七歳の誕生日。僕との婚約を両親から告げられた日だ。この国の第一王子である僕との
【エッセイストがあなただけの物語を綴るアクセサリー】とはタロットリーディングを通して見えたあなたのイメージからお作りする世界で一つのアクセサリーです。 あなただけのショートストーリーを添えてお届けいたします。 ◇あなただけのアクセサリーを作る理由 「自分を満たしましょう」 「自分ファースト」 「自分の機嫌は自分でとる」 など、昨今はよく目にも耳にもしますね。 確かに、自分が自分を一番に考えて愛してあげられれば良いのだと思います。 そう思って私も色々やりました。 *食
愛してる愛していない 花びらの数だけ愛があればいいのに 俵万智 ----------------------------- 夢のないことを言うようだが愛には限りがある。 現在、私が進行形で読んでいる内館牧子氏の名著のタイトルにもなっている。 『愛し続けるのは無理である』 これほどまでにサクッと爽快に、 人間の愛について現している言葉もなかなか無いものだ。 愛には限りがあるからこそ、 その限りのある愛を得る、与えることにドラマが生まれる。 そして行き交わした愛を
逢ひみての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり (恋しい人とついに愛し合った後の心に比べれば それ以前の物想いなど無かったことのようだ) 権中納言敦忠 ----------------------------- 好きだな。と眺めている恋愛は ひとつの汚れもなくただ美しいだけ。 もしもその人が一瞬でも私のことを見て、 ぎゅっと抱きしめられ その体温を知ってしまったら。 触れ合うことのない片恋は ショーケースの外側から アクセサリーをうっとりと眺めているの
なにもないこともないけどなにもない 或る水彩画のような一日 小島なお ----------------------------- コーヒーの香りがして目を覚ました。 珍しく朝早く起きたらしい夫が 先日、祖母から譲り受けたコーヒーメーカーで 豆からコーヒーを淹れたようだ。 あわよくば「コーヒー入ってるよ」と 起こしに来てもらいたかったが、 夫にそのようなホスピタリティは無い。 コーヒーの香りの中で、 うとうとと微睡みを充分に味わってから 自発的にベッドを降りた。 一緒
倒れれば地面と思っていた場所に掌があり 声を出し泣く はらだ ----------------------------- 終電で帰ってくると、改札を出て所にうずくまっている女の子がいた。 両腕で顔を隠してぎゅっと体を縮こまらせて。 呼吸が荒いので、きっと飲みすぎたんだと思った。 他人事とは思えない事態なので声をかけた。 ちょうど近くに行きつけのバーもある。 「ちょっと休めるバーにでも連れて行こうか?」 「いえ、大丈夫です」 苦しそうにしながら、彼女は答えた。 ほっといて
妙子(たえこ)は舌ったらずだ。 ていうか、四六時中酔っ払ってるから呂律が回っていない。 大体、朝の七時くらいに起きて庭の花に水をやる。 それがひと段落したらもう酒を呑み始めてる。 妙子の冷蔵庫にはハイネケンの瓶がずらりと並んでいて 食べ物は生ハムとかサラミとかチーズとか 酒のアテになるようなものしかない。 妙子は昔からそんな風だったから 両親、特に父親は妙子と孫である僕をあんまり会わせたくなかったみたいだ。 それでも、二人が離婚をして僕が母に引き取られてからの長期休みは
星のかけらといわれるぼくが いつどこでかなしみなどを背負ったのだろう 杉崎恒夫 ----------------------------- 一緒に暮らす恋人が、女の子を連れて帰ってきた。 私も知っている女の子で、まだ20歳そこそこの 若いけれど知識のある可愛い女の子だ。 彼女は泣いている。 いつも笑顔で可愛い彼女がそんな風に 崩れるように泣いているので 慌てて駆け寄った。 恋人はバーで働く人で 彼女が1人で来店し、あまりにも泣いているので ここはナオちゃんに任せ
「よかった?」と質問してもいないのに 「よくなかった」と答えてくれる 桝野浩一 『ますの。』 ----------------------------- 「よくなかった」と伝えた経験は残念ながらまだ無いが 先日、女友達と オンライン飲み会に興じていた時に 「日本の男性って上手い人少ないよね」という話になった。
ていねいに歯みがきをする つかなくちゃいけない嘘をついたあとには 佐々木あらら ----------------------------- 正直者が嫌いだ。 正しくは、正直ならば何でも言って良いと考えている奴が嫌いだ。 「ごめんね。私、思ったこと言っちゃうの」は免罪符にはならない。 毒舌と悪口は別物だ。 行きつけのバーの常連仲間に、学生の頃ものすごく仲良くしていた男の子がいた。 当時、休日はほぼ一緒に過ごし、彼は私のバイトの送り迎えまでしてくれていた。 でも、別に付
ひらがなの 優しい言葉でできているような あなたに憧れている 佐藤真由美『恋する歌音』 ----------------------------- 日本語が大好きである。 痒いところに手が届く繊細なニュアンスの使い分けが出来るから。 ひらがなとカタカナと漢字 同じ発音の言葉でも 文章にしたときに、どの形で読むかによって 伝わり方が変わる、あの感じを体感したことのある人は 多いのではないでしょうか。 「あいしてる」 「アイシテル」 「愛してる」 ひらがなだと、なんと
この道がまちがった場所につづくこと 知ってるぼくらのほどよい笑い 陣崎草子 ----------------------------- 終電間近の夜 心の調子の悪かった私は睡眠導入剤を 規定の二倍で飲んで眠ろうとしていた。 うとうと、というより朦朧としていたら ガラケーのランプが恋人のメールを知らせた。 「今ひま?これから店に来ない?」 繁華街でバーテンダーをしている恋人だった。 「行く」と二つ返事を返し パジャマから着替えて軽く化粧をし 既に就寝している母には
君や来し我や行きけむおもほえず 夢かうつつか寝てかさめてか 「あなたがいらしたのか 私が訪ねたのか何も覚えていません。 あなたにお逢いしたのは 夢だったのか現実だったのか 寝ている間のことなのか 起きている間のことだったのか」 『伊勢物語』 ----------------------------- 「あれ?昨晩何かあった…?」 と、夢見心地で目覚めた朝があった。 仲間内で呑んで騒いで 数軒のお店をハシゴして みんなでタクシーに乗って辿り着いた、 男友達が一人暮らし
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うるは)しき 言尽(ことつく)してよ長くと思はば 「何度も恋いてようやく逢えたその時ぐらい 愛おしむ言葉をかけてください。 この恋が長く続くようにとお思いならば…」 大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ) 『万葉集』 ----------------------------- メガホンを持って叫びたい。 「釣った魚に餌をやらねぇ男が多すぎないかーーーー!!!」 せっかく釣り上げたお魚、早めに死なせて大丈夫ですか? 一回ないしは数回