自分が自分であるための頑固。30代女性らしい悩みをやっぱり抱えるようになるのだなと思う日々。
こんにちは、naoです。
あら?何月ぶりのnoteでしょうか?
空いてしまった時間の中でも書きたいことはたくさんあって、下書きばかりが増えている日々でした。
こうしている間にも時は過ぎて、カフェで働き始めてから1年と2か月が経ちました。
ひとつ前の会社では得られなかった(この話、まだ触れていない気がします、記憶が曖昧です。)自分の落ち着く瞬間みたいのが少しだけ出てきました。どんな組織にいても完璧はないのだけど、それでも居心地をよくしていけることはよいことに思える。やっぱりこうやって消費してくれる方を目の前にするお仕事が、私は比較的好きみたいです。
もちろん、働いて入ればそんなふうにふるまえない瞬間もあるし
全然完璧になんてなれないのですが、前にサービス業に関わっていた時よりも、自分のお仕事に小さいながらの誇りをもって働けていると感じます。
でもこれって、その仕事自体がすごいとかすごくないとか、
そういうのにとらわれていたときは全く見えない景色でした。
だって、いわゆる接客業はだれだってできるようなことでもあるし、バイトとしてしているひともいるものだし、それが好きだなんて思えていないし、自分なんて…みたいな感情をもって働いていたと思う。
だから頻繁に人と比べては自分の仕事というものにとても悩んできたし、
一生脳みそ稼働させてしまう人間としては苦しくてもがくことの多い20代だったなと思うのです。(何者かになりたい魔法にかかっていたよね、懐かしいけど多分いまもどこかでその気があります)
最近、身近な大人のひととお話していて、やっぱりサービス業は子育てするときには厳しいよね、とのお言葉をいただきました。(現状私に子供はいません!いつか育てることができるのかもわかりません、でもそうしたいなという希望はある)
はい、きっとその通りだと思います。私も20代の頃は頻繁にそういう言葉を発してきて、それを見越した転職も経験して、でもやっぱり自分には合わなくて…そうやって考えて動いてきての今だから、その言葉はやっぱりちょっとグサッときました。
でも、多分今の私はとても頑固です。
その頑固さは、最初は自分を守るためのものだったかもしれない。
好きなことに挑戦していく人生は、時にそれなりの荒波にもまれる。
ゆくゆくは子供という存在を持てたらうれしいし、そのときにいかにスムーズに子育てできるか、問題なく育てていけるのか、ということはもちろん考えてきました。
その方も、自分が生きてきた人生があって、そこでの苦労があって、その経験を活かせるように次の世代に伝えてくれただけで、なんの悪気もないのです。それはわかっていてもよく発生する事象だよね、おそらく。
31歳を迎えた今(しれっと夏生まれでした)、母が私を生んでくれた年齢になり、そうやって来るかもしれない未来のために今の現状を整えていこう、みたいな、いきやすい人生にするために今どうしよう、みたいな、そんなことを当たり前に考えるようになって、良くも悪くもよく考えた行動が求められる。そんな気がする。(誰に求められているのだ…世間かい?)
でも私は頑固だから(というかここで頑固に貫く自分でいたいから)
自分の人生はこうしたい、のベースの上に諸々の人生が乗っかってほしいと思ってしまう。これはわがままなのかもしれないし、でも現状私の人生は私のもので、でもきっと新しい命を授かる日が来たのなら、そういう風に思わなくなるのかも知れない。
でも今は、多分これからも、私は私の人生がどうでもいいと思える日は来ない気がする。いつだってハンドル握っていたいのです。
(きっとすでに母になっているひとからみたら、この言葉選びが違うなって感じるかもしれない、ごめんね)
何が言いたいのか整理してみたら、結局私は自分の生き方を、最期に走馬灯とやらの中でひっくるめて肯定できる私でいたいという気持ちが強い(強すぎる)のだということに気が付きました。その一瞬のための頑張りすごくて笑っちゃいます。
そんな今の自分についてのメモになりました。
31歳になったばかりの私はこういう想いを抱えて生きていたと。
デザインのお話は毎度飛ばしている人生日記になってきていますが、ちゃんと進捗しています。亀の歩みでもいいの、自分と身近なひとを納得させられる自分になるための努力だから、他のことみたいに3日坊主にはならない、なれない、と今は思えているから。すべては自分が選んだことだから、どうにかするから!絶対にしてみせるんだから!そうやって頑固に生きていると思う。
今日のところはこんな感じです。
では、少しずつ下書きを公開していく夏にします。
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