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舞台「サメと泳ぐ」観劇

2018年9月2日 世田谷パブリックシアターにて観劇。

本作は1994年公開の映画「ザ・プロデューサー」(原題は「Swimming with sharks」)を元に舞台化し07年にロンドン・ウエストエンドで上演されたものである。今回、「サメと泳ぐ」日本初演である。

CAST:田中哲司 田中圭 野波真真帆 石田佳央 伊東公一 小山あずさ 
演出:千葉哲也

STORY:舞台はハリウッドの大手映画制作会社「キーストーン・ピクチャーズ」。シニア・エグゼクティブ・プレジデントのバディ・アッカーマン(田中哲司)は数々のヒット作を生み出し、映画業界でその名を知らない人はいない大物プロデューサーだ。人間としての評判は最悪だが、彼のアシスタントは皆、出世すると言われている。バディの下で働き始めた脚本家志望の青年ガイ(田中圭)は侮蔑的な言葉で罵られる日々を耐えていた。
そこへ新作の企画を売り込みに来た、フリーランスの映画プロデューサーのドーン(野波真帆)にガイは心を奪われ、いつしか恋人関係になる。昇進に命をかけるバディはキーストーン会長のサイラスにアピールするためドーンの企画を利用しようと、ガイにある提案をもちかける。それぞれの思惑、欲望、その先にあるものとは・・・。(プログラムから引用)

暗闇にぼんやりと浮かび上がるふたつの人影。それはほんの一瞬だけで消えてしまう。照明が点いて舞台が明るくなるとそこは3カ所に区切られていた。1階はキーストーン社のオフィス、2階にバディのオフィス、そしてもうひとつはドーンの部屋だ。スタイリッシュで無機質な舞台。そして舞台の真ん中に大きなテーブルが置いてある。その舞台で物語は始まる。

バディ(田中哲司)のオフィスには引っ切りなしに電話がかかってくる。それに対応している男がひとり。そこへガイ(田中圭)が入ってくる。野暮ったい上着を着たオドオドした青年だ。オフィスにいた男と話をしていると、バディ(田中哲司)が登場。サングラスをかけ堂々とした歩き方。その瞬間に空気が変わった気がした。部下に対する話し方、身のこなし、どれをとってもいかにもハリウッドの大物プロデューサー然としていて、引き込まれてしまう。早口で相手を威嚇するような話し方。ギラギラとしていて、まぁ、つまり簡単に言うと嫌な奴なのだ。余談だが、ハリウッド映画でよく見る、オフィスで偉そうな人が必ずやる、デスクに足を乗っけるっていうのは本当にやっているのだろうか。偉そうな態度を表現するには一番かも知れない。足を投げ出して椅子に座ること。この舞台、バディが嫌な奴であればあるほど面白みが増す。そして物語も盛り上がる。そう、この舞台の面白さは田中哲司の演じるバディにかかっている、といっても過言ではないだろう。その期待通り、バディは結構嫌な奴だった。バディの機関銃のごとく発せられるセリフのひとつひとつでガイが打ち抜かれる様が、ある意味小気味良い。けれど、田中哲司が演じると可愛げのあるどこか憎めないバディだった。それはそれで良かったかな。そして、ガイと恋に落ちるドーン(野波真帆)はバディからミス・ゴージャスと呼ばれるキリッとした美人のキャリアウーマン。野波真帆さんは役のイメージにピッタリだった。

製作のトップにのし上がりたいバディ、良質な映画を作って自分を売り込みたいドーン、そして脚本家になって映画業界で成功したいガイ。この3人の思惑が複雑に絡みあって物語がすすんで行く。
バディ、ガイ、ドーンの3人のどこまでが真実でどこからが嘘なのか、判断がつかない。最後も、え?と聞き返したくなるような会話が聞こえてきてしっかり翻弄されてしまっていた。脚本家を夢見てハリウッドにやってきた青年、ガイは最終的にはバディとドーンの間に立ってどちらにもいい顔しながら自分もおいしいところを持っていこうという、実はちゃっかりした男だったのではないか。こう書いてしまうと元も子もないのだが、何を信じて何を信じないのか。誰に就くのか。ビジネスという競争の場では周りをうまく出し抜いていかなければ自分が出し抜かれる。はじめは純粋な映画好きの青年のように思えたが、バディの影響か環境に染まったか1幕から2幕への彼の変化は見物である。だが、いささか展開が急すぎる感は否めない。バディに対する復讐もその真の目的はなんだったのか?そこまで気持ちが爆発していたのか?という疑問も残る。

はじめはバディの横暴な振る舞いにガイが犠牲になっているような印象を受けていた。最終的に手段を選ばず自分の野望を実現したガイがいたわけだけれど、2度目に観たときは3人とも結局は同じ穴のムジナだという印象が残った。それぞれ自分の欲望の為に人を利用して居たわけだし、最後、バディがガイに詰め寄られたときに「謝罪が欲しいんじゃないんだろう?赦しが欲しいんだろう?」って言葉を聞いた時に、赦しだ。そうだ赦しだと思った。バディはやっぱり一枚も二枚も上手ですべてわかってる。だてに映画業界でもまれてきているわけじゃない。ある意味一番人間をわかってるひとなんじゃないかと思う。その点からすると、バディのいう通り、ガイはまだガキなのだ。そしてガイは自分のやったことに言い訳が欲しいのだ。だからバディに対してああいうことをやった赦しが欲しい、っていうこと。そういうことだ。

舞台とは別の話になるが、難しいと思ったのは興行収入とクリエティブな側面が比例するかどうか、という点である。その対比としてバディとドーンがいるのだが、映画の内容と興行収入の両方良ければ一番なのだが、そううまくいかないのがビジネスである。良質な映画を製作することに意義があり興行収入は二の次か?いや、そもそもこれは「ビジネス」である。儲からなければ意味がない。質よりも客を呼べる派手で話題性のある映画を製作して興行収入を得ることの方が大切なのか。製作の現場ではクリエティブと興行収入の狭間で揺れているのが現実なのだろう。

#サメと泳ぐ #田中圭 #田中哲司 #野波真帆 #世田谷パブリックシアター



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