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考えたいことだけ考える

遠慮しがち、卑屈、受動的……こうしたマイナス思考との戦いは未だゴールが見えてこない。

そもそもゴールとは何なのか、どういう状態なのか。ゴールに到達した自分はどう考えているのか……

そんなことを考えている間にも人から上記の評価を受け・あるいは思い出し、「マイナス思考の自分」が再定義される。


では、そもそもいつから「マイナス思考の自分」という自己認識が始まったのだろうか。それ以前はどうだったのかに思いを馳せてみる。

詳細は省くが、小学校3年生~6年生あたりの出来事で強くストレスを受けた記憶があり、高校時代にとどめ、という記憶がある。

ではそれ以前は? おそらく能天気に、いわゆる普通の子供らしさのままに生きていたはずだ。

つまり、マイナス思考は本来なかった思考の癖であり、ありのままの自分ではない。

もっと言えば、その癖が邪魔をして、自分は本来考えたいことを考えられていない。


そんな青臭いことを考えているなど、という意見もまたマイナス思考なので一旦除外し、「考えたいことを考える」ためにはどうすればいいのか。

現状は長期間のマイナス思考に馴染んでしまっている。まずは上の行のようにマイナスに対する修正をこまめにかけていくことが必要だろう。

だがそれ以上に、文字通り「考えたいことを考える」ことを習慣化・日常化する必要がある。プラスで突き抜ける、と言い換えてもいい。

能天気なバカ者? 上等じゃないか。考えたくないマイナス思考でぐだぐだ悩むよりはよほどマシだ。

そんなものに振り回されず、「考えたい」という子どもの感性で行われる大人の思考。

それに徹することが今の自分には必要だと思う。


蛇足になるが、リスクを見ることと将来を悲観することはイコールではないと考える。

「リスクがあるから避けるなり対策するなりして進もう」

「どうせリスクは避けられないから感情の先取りをしておこう」
の違いだ。

この2つの明確な違いは、リスクに対して具体的な行動をしているかどうかだ。

行動しても避けられないリスクは存在するが、悲観するだけで回避できるリスクは(厳密には)存在しない。

世界は変わる。環境も変わる。失うものも、得るものもある。

ただし、悲観し、失うものを嘆くだけでは……それ以外のものが見えなくなってしまうだろう。

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