「買い物ついでにウォーキング」の失敗
こんにちは。今日は「目的」について。
主目的に失敗した結果
昨日、30分くらい歩いて買い物にでかけたのですが、いくつか店を回っても買いたいものはなく、私は単に歩いただけになってしまいました。
一応これは「買い物ついでにに歩く」というタスクだったので「歩く」事自体は達成しているのですが、なんとなく釈然とせず。
今回はそんな思いを深掘りしていければと思います。
買い物か、歩くのか、両方か。
今回の私は「買い物に行く」ついでに「ウォーキングの歩数を稼ぐ」と考えて上記の目標を設定しました。
個人的には買い物が失敗してもウォーキングにはなるから半分成功する、と保険をかけている感覚でしたが実際はなんか不満感が残るな、となってしまいました。
これが「ウォーキングに行く」であれば100%成功。「買い物に行く」であれば100%失敗。
では、今回の50%成功で私が何を得たか。50%の失敗です。
目的は一つに絞った方がいい
100%の失敗であれば十分悔しがったあとで次はこうしよう、と積極的に対策を組むことができますし、100%の成功であればそこから十分な成果と満足感を得ることができます。
しかし50%の成功・失敗では、反省の悔しさも成果を得た喜びも中途半端な状態です。
「いやぁ、歩けはしたけど目的物は手に入らなかったよ」、あるいは「目的物は手に入ったけど、歩数はあんまりでね」のような状態では、心のもやもやを増やしただけになってしまいます。
つまり目的を絞らず保険をかけた時点で、失敗したときのモヤモヤの増加は確定していたわけです。
目的のために手段を設けることは悪くないと思う
目的を絞り込むことは単に成功失敗のときのテンション問題にとどまらず、そこから得られる「十分な成果」の質にも大きく影響します。
ウォーキングに一点集中していたなら、フォームを維持して短期決戦で十分運動効果を得られたはず、みたいな話です。
これらに対して「(歩いてると内省が進むから)歩きながら考える」ならどうでしょう。
これは内省が主であり、歩くことがそれを促進する手段となる事例です。並列ではなく、主従の関係、という気がします。
同じ重さの目標を複数持つことは結果的にはエネルギーの分散に伴う一部の失敗、そして「全部失敗」になったときのダメージを増やすことに繋がります。
複数の目的を処理するときは、それぞれに一点集中するべきなのでしょうね。