人生の半分を費やした
本日は私の人生の半分以上の時間を費やしたサッカーについてのお話です。
私はサッカーを始めたのは3歳のころ。たまたま自分の行っていた幼稚園にサッカースクールがあったのがきっかけです。
そのまま幼稚園のサッカースクールからそのまま小学部のチームにあがりました。
昔から自信家だったので当たり前のように自分はプロサッカー選手になれると思っていました。
しかし、小学校の時の私はレベルでいうと飛び級で一学年上の地区トレセンに選ばれるも自分の学年では大阪府トレセンには選考会で落選レベルでした。
それでもガンバ大阪から練習会に呼ばれ自分の実力を認めさせようと思うも最終選考会から参加しましたが落選。
中学は近くの平凡なチームに入部。(現在はかなり強いみたいです)笑
高校は色々な事情もあり、私立高校でのサッカーは出来ない状態であったため公立高校の家の近所の高校を志望するもありがたい事に中学の時のコーチや外部コーチからそのレベルで平凡な高校に行くのはもったいないと言われ、体育科が設立され人工芝のサッカーコートの恵まれた環境の高校を紹介されそこに決断しました。
もし、紹介されていなければ高校1年生くらいでサッカーを辞めていたと思います。
結果、進学先の高校では10年に1度公立高校で集まるか集まらないかのメンバーがそろいました。本気で大阪チャンピオンになって全国大会でサッカー出来る環境に身をおけたと感じていました。
練習試合では大阪の強豪校と言われる私立勢にも勝利したりと本当に大阪制覇は夢物語ではないとつくづく思っていました。
しかし蓋を開けてみれば、春大阪ベスト16、夏大阪ベスト32。
本番での勝負弱さから逆転負けや練習試合で負けた事の無いチームに敗北し情けない結果で高校サッカーの幕を閉じました。
大学では本気のサッカーからは退きサークルでサッカーをしていました。
プロになることも出来なかったし、大阪制覇も出来なかったけどサッカーで多くの事を学び、人格が形成されたと思います。
各年代の所属チームですら1番の選手になることが出来なかった。いつもおれはチームで2番目の選手だった。
休めるわけがなかった。常にライバルがいた。工夫した。人以上にがむしゃらに練習に取り組んだ。その結果人以上に怪我をいっぱいした。半月板損傷、内転筋損傷、足の甲の疲労骨折、内側靱帯損傷3回。
負けず嫌いな性格、根性論の限界、環境の重要性、努力の方向性等。
真剣なサッカーから離れて約6年が経ちましたが、やはりボールを蹴ることはやめれなかったということでフットサルを始めました。
これからも俺はボールとつきあっていくんやろうなって感じで終わっときます笑
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