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グレーの濃淡で世界を見る
高校生になった娘の、学校や部活の話に毎日耳を傾けながら、ふと思い出すことがある。
わたし自身、悩める10代や20代のころは、実家のダイニングテーブルで、母を相手にさまざまな悩みをぶつけていたものだ。
新卒で入った小さな出版社(と創業メンバーたちは言っていたが、実情は下請け業務メインの編集プロダクションだった)では、ブラック企業という言葉もまだない時代、「終電より早い電車で帰るなど編集者とは呼べない」と豪語するワンマン社長のもとで、22歳のわたしは困惑しながらも新社会人として必死に働き、しかし心身はどんどん疲弊し、蝕まれていった。
最終的には、過酷な労働による疲労とストレスで生理が止まってしまい、1年も経たずに退職を決めたのだが、その決断に至るまで、夜な夜な母親を相手に、いかに社長が横暴な人間か、不満と愚痴をぶつけていたのだった。
当時の母は、年齢は今のわたしくらいで、50代前半だった。
大手企業で出世街道をひた走るキャリアウーマンだったけれど、価値観としては昭和にどっぷり染まっていた年代だし、「一度就職したらそこで3年はがんばりなさい」と何度も説得され、わたしのモヤモヤは募るばかりだった。
でも結局、生理が止まってしまうような職場では仕方がないと、最後は辞表の書き方を教えてくれた。
とにかくあのころ、わたしから見えていた社長と会社は、真っ黒もいいところだった。
しかし、年齢と経験を重ねながら少しは視野も広がり、ヨガ哲学にも出会った今、この世には真っ黒も真っ白も存在しないこと、白と黒はつねに混在し、自分が立つ場所によって色の配分も変わるのだと思えるようになってきた。
そういえば、昨年観た映画『怪物』にも、まさにそんなメッセージを感じたのだったっけ。
どの位置や距離で世界を見るか
白と黒の勾玉が組み合わされ、白の中に黒点が、黒の中に白点がある円。
「太陰太極図」と呼ばれ、ヨガや東洋思想を学ぶ中で必ず目にするマークだ。
この世のすべては陰と陽のバランスで成り立っていて、その境界線も、きっぱりと直線を引けるようなものではない。
いつどの瞬間であっても、体や心は、ひいては宇宙全体は、陰と陽の間で針を揺らしながら均衡を保っている。
この世界は陰と陽のバランス。
光の中にも影があり、影の中にも光がある。
そんな目で周囲を見回してみれば、その通りとうなずくことばかりだ。
完全な善人も悪人もいない。
自分から見える角度によって、白と黒のボリュームは変わる。
その前提を持たずに、対象から近すぎる場所に立ったり、または円の内側に入ってしまうと、全体が見えずに「白だ」「黒だ」と決めつけてしまう。
だから、どんな対象からもある程度の心理的な距離を置くことが大切なのだ。
そうすれば安易にジャッジすることもない。
すべてはグレーであり、その濃淡も、自分が動いて距離や位置を変えれば、調整できる。
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