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輝いている人を応援できる自分でいたい
「SNSにあふれるキラキラした投稿」といった表現が、当たり前のように使われている。
文脈としては、「ていねいで美しい暮らしをしたいけれど、日々の仕事や家事で忙しいし疲れているし、目指す姿には程遠い日々だ」と悩む人が、そんなときSNSを見るとますます落ち込んでしまう……といった流れで、この表現を持ち出すことも多い。
状況としてはよくわかるし、わたし自身にも経験がある。
そんな時期を振り返って書いたnoteの文章は、有料記事だったにも関わらず多くの方に読んでいただいたし、そのエッセイを収録した『すこやかなほうへ 今とこれからの暮らし方』でも、これを読んで救われました、というご感想をたくさんいただいた。
落ち込んでいる本人ではなく、その人を慰めようとする立場にいる人が「SNSで流れてくるインフルエンサーたちのキラキラした姿なんて、虚像だと思った方がいい。最高の一瞬を切り取っているんだし、いつもそんな素敵な暮らしをしているはずがない。ダメダメなときもあるはずで、だからキラキラを見て落ち込む必要なんてないんだよ」などという常套句もある。
いずれにしても「SNSのキラキラ」という表現を当たり前のように使っている人は、何の悪気もないのだろう、ということはわかる。
でもわたしは、それが聞こえてくるたびに、普段は眠っている謎の正義感のような感情が、ムクッと目を覚ます感覚がある。
自分を下げつつ、がんばる人を揶揄していないか
一見、落ち込んでいる自分や、他人を慰めることを目的として発せられている言葉の裏に、「美しい暮らしぶりをSNSでアピールしている人を揶揄するニュアンス」を感じてしまうからだ。
もちろん大前提として、何が理由だとしても、落ち込んでいる人は早く元気になってほしいし、それを慰めようという気持ちがある人は、優しい人だとも思う。
でも、自分が自信をなくして落ち込んでいることと、SNSで輝いている人の存在は無関係だ。
SNS上で輝いている本人が、「投稿なんて、奇跡の一瞬を切り取って見せているだけですから」と言うのは、全然いい。
その言葉が謙遜であろうと本音であろうと、その人には、それを言う資格がある。
モヤッとするのは、インフルエンサーの影の努力や苦労を見ていない人が、まるで舞台裏まで知っているかのように、「SNSのキラキラ投稿なんて」と言い放つ態度に対して、である。
この感覚を、わたしは今はじめて言語化している。
自分の地雷が埋まっているポイントが、わかった気がしている。
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