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自分が輝く場所は、見つけるより導かれる 

過去のnoteの記事をなにげなく読み返していたら、ここで書いたことはまさにヨガ哲学の「カルマヨガ(行為のヨガ)」ではないか、と嬉しくなるものが見つかった。

公開当時はすごく読まれたわけではなかったけれど、自分としてはけっこういい内容だと思っていて、ヨガ哲学の目線からも、あらためて紹介したい。

一応、内容をざっくり説明すると、記事を投稿したのはちょうどサッカーのワールドカップが開催されていた時期で、連日テレビに出ずっぱりの、ある人気サッカー解説者を見ながら、ぼんやり思ったことを書いたnoteだった。

その解説者は、選手経験も監督経験もある人で、しかし選手時代も監督時代も、とくに輝かしい成績を残したわけではないという。
それでも今は、サッカーのテレビ解説者として不動の地位を獲得している。

残した成績はどうあれ、選手と監督の両方を経験していることが、彼の解説に説得力を与えていることは確かだ。
けれど、過去の彼が「将来テレビで引っぱりだこの人気サッカー解説者」を目指して、選手時代や監督時代を過ごしていたはずはない。

その時々で、自分の役割を全うすることに集中していれば、成績という結果ではなく、その経験が、次の道を用意してくれる。
「ここでやるべきことはやりきった」と思えたとき、自分の前に伸びている道を素直に進む。それを繰り返すうちに、いつしか「自分が輝ける場所」に辿り着いているのではないか、という話だ。


そこで輝けないなら、居場所は他にあるのかもしれない

自分のダルマ(持って生まれてきた人生の役割)に従って、いま目の前のことに集中して生きていくことがカルマヨガ。
というと、とてもシンプルな生き方に聞こえるけれど、これが難しいから、みんな悩むのだ。

「自分はこうなりたい」と願望を持つのは自然なことだし、いつだって選ばれ、賞賛され、活躍できる人になりたい。そうすれば自己肯定感は満たされる。
選ばれず、活躍もできなければ、自信をなくすのもまた自然なこと。

でも、落ち込むのはそこそこに、「そうか、自分が輝くことができる場所はここじゃないってことなんだ」と受け止めて切り替える強さが、人生を前に進ませることもある。

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