見出し画像

好きだったものを手放したらやってきたもの

50歳を節目に、人生後半は「お酒を飲まない人」として生きてみようと、ソバーキュリアスをスタートして早4ヶ月。

20代、30代と、お酒を飲まない人生なんて楽しいはずがない、と本気で思っていたし、当時は実際に、お酒を飲めるからこその楽しさもいろいろ味わったと思う。

酒量が同じくらいの仕事仲間と毎週のように飲んで語りあい、愚痴をこぼしたりこぼされたりしながら憂さを晴らし、一人暮らしが寂しいとか退屈とか思ったことがなかったのも、友人と、または一人でも、お酒を飲む時間を通して心が満たされていたことが大きい。

しかし、妊娠と出産と授乳によって2年以上飲まなかったことで、「お酒を飲まなくても人生は楽しいし、しあわせである」と知った。
40代に入ってからは、平日は飲まずに週末だけ飲む、5:2のバランスがちょうどいいと感じながら過ごした。

つまり、20代、30代、40代と、そのときどきでお酒との距離感を変えながら付き合ってきたわけだけど、50代から、興味本位でお酒と手を切ってみたら、今のところわたしの身には、控えめにいっても「よいことしか起こっていない」。

酔いによって時間や記憶が中断されない気持ちよさ


一番は、楽しいことにめいっぱい取り組める、時間と体力が手に入ったことである。

あらためてそう感じたのは、先月わが家で開催したワークショップの日の夜のこと。

以前なら、数日間準備してきたイベントが無事に終わり、参加者のみなさんにも喜んでいただけて、後片付けも終わって……となれば、「やぁやぁ、ホントおつかれさま。ひとまず乾杯しましょうよ」と、夫と労いの一杯を開けていた。

それはわかりやすく、「がんばった自分へのごほうび」だったし、一口、二口飲んでアルコールが体内にふわっと回ると同時に緊張もゆるんで、「あー、楽しかったね」という満足感に心ゆくまで浸ったものだった。

今振り返っても、それはまさしく、何もケチのつけようがない、ごほうびの時間だった。
けれど、ソバキュリアンになったわたしがお酒と引き換えに手にした価値は、その時間の後にあった。

かつては、お酒を飲むと、その時点で店じまいモードになり、食後にSNSを投稿する気力など残っていなかった。「今日はもうおしまい。全部、明日やる!」という感じで、ほろ酔いで眠りについたものだった。
しかし、飲んだ翌朝は頭や体が重く、午前中の動きも全体的に鈍く、だるさも残っている。

ところが、乾杯をノンアル飲料にするだけで、夕食後も、参加者さんにお礼のメールを送ったり、夫が撮ったたくさんの写真からSNSに使うものを選んだり、選んだ以上はそのまま投稿までしてしまったり、おみやげをもってきてくださった方に個別でお礼を伝えたり、「別に明日でもかまわないけれど、できれば今日やっておいたほうがいいこと」を次から次へとサクサクとできるのだった。


もちろん体は疲れているけれど、酔ってはいないので、むしろ「心地よい疲労感」という感じ。
すべてやり終え、お風呂にゆっくり入り、ストレッチをして寝たら、翌朝には、まるで生まれたてのような気分で、体の疲れもスッキリと回復していた。

やるべきことを前日に終えていることによって、時間にも余裕がある。さらに、楽しかった記憶が、まったく薄れていない。
日中にみなさんと話したことも、ワークショップをしてくださった方と終了後に話したことも、夕飯を食べながら夫と話したことも、すべて鮮明にすみずみまで覚えている。それらをひとつひとつ思い出すと同時に、次のアイデアも練っている自分がいて、つまりは、お酒によって時間も思考も中断されたり、曖昧に消えてしまったりせず、スムーズに次へと展開していく感じなのだ。

この一連が本当に気持ちよくて、そうか、わたしはお酒を飲みながら打ち上げをする時間のかわりに、新しくこれを手に入れたんだ、という実感があった。

同年代俳優が語った「コロナでよかったこと」に共感


そういえば、先月の『ボクらの時代』、この鼎談はかなり面白かった。

村上淳さん(ムラジュン)はわたしと同い年、浅野忠信さんは1つ下、つまり同年代である。オダジョーさんは4つ下。
ミドルエイジとなって、いい具合に若い頃のピリピリ感もとれて、それぞれにいい味を醸し出している。
全員、昔よりずっと好きだなと思いながら観た。

トークのなかで「コロナになってよかったのは打ち上げがなくなったこと」という話で3人が盛り上がっていて、ムラジュンが「以前は映画の打ち上げの3次会でスタッフからダメ出しされることとかあって」と苦笑いしていて、なんて気の毒な、と思った。

でも、わかる。そういう空気、知ってる。
お酒がすすんで、胸の奥にしまっていた感情が、ついこぼれ出してしまう感じ。それは悪いことばかりでもないのだけど、映画を撮り終わり、その打ち上げ(しかも3次会)の場でダメ出しっていうのは、それはダメでしょう。わたしがムラジュンでも、勘弁してほしいってウンザリすると思う。

映画の製作中どころか、打ち上げまで言えなかったことなら、もうそのまま言わずに終わればいいのだ。
お酒と酔いの力を借りて言ってしまったことで、伝えたかった真意は正しく伝わることはきっとないし、相手の胸には「なんでいまさら」というショックと、「面倒くさい人」という印象を生むだけだ。残念すぎる。

さておき、実は夫もソバーキュリアスを始め、そろそろ2ヶ月になる。
近所の飲み仲間として仲良くなったことから夫婦になったわたしたちが、お酒を飲まないカップルとして、50代以降の人生をどんなふうに謳歌していくことになるのか。自分たちがいちばん楽しみにしているかもしれない。

いずれにしても、大好きだったものと手を切ったとしても、空いた手には、それ以上の価値あるものが入ってくることがわかった。
それを知っていることで、この先も身軽に変わっていける気がする。

いいなと思ったら応援しよう!