3回目の自宅隔離期間中に考えていたこと
今年3回目のコロナウイルスによる自宅待機期間でした。もう3回目となるとそれはもう慣れたもの...とは当然行かず、職場での仕事を急いでクロージングし、在宅勤務の体制を整え、妻とともに私はいつから出勤できるのかほうぼうと調整をし、電話越しに頭を下げるのでした。
感染することは仕方ないこととは言え、正直かなりウンザリしており、その上スケジュールで動いている月次決算業務と予算管理業務を在宅で、小さな13インチのPCスクリーン1つでやらなければいけないことを思うと気が滅入るのです。
そして、別の部屋では子供たちが暴れまわっています。
(君たちは病人ではなかったのか)
正直この環境であれば、出勤した方がよほど楽です。
明日からのワンオペ在宅勤務が仕事になるのかものすごく心配です。
重要な資料の提出期限が水曜に控えています。
とはいえ、自分がウンザリしているのは、自分が会社に依存しているせいか。と仕事をしながら考えていました。生きるためには、家族を養うためには、お金が必要。そのお金のほとんどを私は会社からの給料という形で与えられています。労働に対する対価として(少しだけ投資の配当金もあるけど)私という労働力を差し出して、収入という対価を得ている。時にはしたくない仕事もして。
年収に見合う労働をしているかは不明。
だからこそ、そこに依存する生き方というのが、
良いものだとは思わなくなってきました。
最近読んだ本の中に
「ワーママはるのライフシフト習慣術」
という本があります。
その中で尾石晴さんという方が、サバティカルタイム(Sabbatical:用途を決めない長期休暇のこと)を取って様々なことに取り組んでいることを知りました(実際はVoicyのリスナーだったので、もう少し前から)
ヨガや、不動産経営、大学院生、それでいて母親…
正直どこにどこにそんな時間があるんだろうと思いながらも、自分の中のアンテナを大切にして、少しずついろいろな種をまいてみるという彼女の取り組みは自分の心をムズムズさせるのには十分でした。
何か一つのことを突き詰める求道的な生き方も嫌いではありません。でも自分がそれを求めているかというと、必ずしもそうじゃないんですよね。なにせ、クリフトンストレングスの上位5つは収集心/調和性/適応性/学習欲/着想なんですから。もっといろんなことを知りたい私を何処かで押さえつけている別の私がいる。
いろんなことに取り組んでみよう、うまくいかないこともあるかもしれないでも、それも良い学びである。もう少し、心の中の自分を大切にしてあげたいと思います。
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