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ハーモニー 伊藤計劃

ストーリー要約
本作は主人公、霧慧(きりえ)トァンの一人称視点を語り口に展開される、プログラミングチックな文体で書かれた作品。
舞台は高度に医療が発達した社会。
その世界において人類はもはや病死を乗り越えた。
大災害(ザ・メイルストロム)という先の歴史的惨事で人口を大きく減らした人々は人的資源の意識を強く持つようになり、WatchMeによる常時健康観察システムが開発導入される。
主人公は現在行方不明のWatchMe開発者の娘であり、大災害後の過剰な福利厚生社会に違和感を抱いていた。
そんな時、公園で御冷(みひえ)ミァハと出会う。
学校で浮いた存在であったミァハはまるで同級生とは思えないほど膨大な量の知識を持っており、その殆どは過去にデッドメディアとなった本によるものだった。
肉体は自分のものであって社会のリソースであるとされる社会を強く憎んでいたミァハに、トァンは自らの内で燻る絶望の捌け口を見出す。
同様に引き寄せられたのは零下堂キアン。
物語はこの3人を要として始まっていく。

3人の出会いから13年後。
トァンは国連軍WHOの螺旋監察官となり、アフリカのサハラ域で紛争に介入していた。
彼女の真の目的はWatchMeを身体に実装していない民族との秘密裏に行われる交渉、その結果得られる酒やタバコなどの嗜好品であった。
そのような辺鄙な土地ではWatchMeもオフラインとなり、健康度が反映される社会評価点で見られる世間の目を騙しながら彼女なりの休息の場を確保していた。
ある日、上司であるシュタウフェンベルクに交渉とその常態が看破され日本への帰国を命じられる。
渋々応じて帰国した時、空港でトァンを出迎えたのは13年来の友人、零下堂キアンであった。

トァンは彼女との会話の中で13年前に亡くなった御冷ミァハの口振りを真似る。
13年前、トァンは世界を恨んでいたミァハらと共に自殺を図った。
"WatchMeが入っていない未成年の体のうちに、私たちの体は他の誰のものでもないことを示すために"
しかし自殺に成功したのはミァハ一人だけ。
残された2人はその後別々の道を歩む。
トァンはミァハのことを意識に抱えたまま、かつての未遂に終わった自殺を悔いるように、体を不健康に晒すことのできる螺旋監察官に。
一方のキアンは周りに流されるまま社会の用意した健康の軌道に回帰したようだった。
トァンから見た彼女は学生であった当時から影響されやすい性格で、ミァハがどのような話をしても理解しているのかいないのか頷きながら聞き手に回り、特に悩みや考えが無いようだった。
そんなキアンと、帰国したばかりのトァンはイタリアンで食事をすることになる。
話題は自然と過去のミァハとのものになり、当然自殺の件にも触れられた。
そこで明かされたのは、学生時代、キアンは彼女なりにミァハを案じて共に過ごしていたという事。
トァンの印象とは異なる真実が語られ、そうしているうちに食事が運ばれてくる。
物語の第一部はその昼食中、奇妙な遺言と共に、対面して座るキアンが傍らのナイフを喉に突き立てて自殺するところで幕を下ろす。

続く二部ではキアンの自殺と同時刻、全世界的な集団自殺が行われていたことが明らかになる。
螺旋監察官として、友人を失った個人として事件を追うトァンは御冷ミァハの実家を訪ね、ミァハの遺体は行方不明の父ヌァザによって引き取られたこと、そして父に関する手がかりを持つ人物の連絡先を得た。
WatchMe開発に関わる研究のチームであった冴木ケイタを訪れたトァンは、バグダッドにヌァザの研究助手をしていた人物がいることを示される。
バグダッドに向かうことを決める最中、並行して集団自殺事件の解明を進めていたトァンは、自殺に至る際に遺言らしき言葉を残していたのはキアンのみであることに気づいた。
さらに、耳に手をかざすだけで離れた他者と通話をすることの出来るHeadPhoneでシュタウフェンベルクから連絡を受信した時、キアンは何者かと通話していたのではないかと思い至る。
彼女の角膜のデバイスにアクセスして解析してみると予想は的中しており、その通話の相手は13年前に亡くなったはずの友人、御冷ミァハであった。

ミァハの生存説とヌァザへのヒントを得てバグダッド行きの便に乗るため空港に向かおうとすると、駐車場にはインターポール所属を自称するヴァシロフという男性がトァンを待ち受けていた。
成り行きで空港まで同乗することになったトァンは男から<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>の存在が明かされる。
彼らの目的は人々のWatchMeに不正アクセスし、非常時にはシステムの穴を介したある技術を運用すべく研究しているという。
また道中、緊急ニュースとして何者かによる宣言がなされた。
先日の集団自殺事件は本人たちの意思ではなく故意に自殺させられていたこと、WatchMeを実装している人は一週間以内に誰か一人を殺さなければ同様の手で自殺させられてしまうことが発表される。
声こそ変えられていたがトァンはその宣言の主が御冷ミァハであることを直感した。
ヴァシロフとは空港で別れる。
バグダッドに到着するとヌァザの研究助手ガブリエルに接触し、父の研究や、それとなく<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>の事を問う。
その後ホテルにチェックインすると、一人でアブー・ヌワースに来いとの手紙があった。
アブー・ヌワースはWatchMeや街の警備の外にある歓楽街で治安の評価は低い場所。
そこでトァンを待っていたのは父、霧慧ヌァザであった。
聞かされたのは父が<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>の一員であること、研究は大半終えていること、ミァハがその実験体になっていたこと。
グループの研究はヒトの意識の制御。
高度福祉社会にあって自殺者が年々増えている現状に対して進められていた研究だった。
人類ひとりひとりが最適な行動をとるように制御できたら。
そう考えて研究していたが、グループはその結果として意識の消滅に至ってしまった。
葛藤や不安、さまざまな要素の中から選択する事が意識であるのなら、迷いのない最適な行動をする人間に意識はない。
WatchMeには人々の意識を奪うことのできるその研究成果が実装されており、今回の事件はグループ内の少数派閥がそれを悪用したものだった。
また少数派閥のリーダーであるミァハは実は元々、意識を持たない民族の生まれであることを聞かされる。
紛争地域となった故郷の混乱のなか人身売買によって惨い扱いを受けながら日本に辿り着いたという。
彼女の意識はその経験の中で後天的に得られた脳の擬似的機能である。
ヌァザの実験で一時的に意識を持たない生活をしたミァハはその時の記憶が無く、ただ恍惚だったと話す。
彼女は客観的には通常に会話し、食事し、つまり意識の消滅により生まれるのは他者との調和のとれた完璧な人間であるとヌァザは言う。
しかしこれはアイデンティティを奪うことに同じ。
グループでも意見が分裂し、WatchMeにはプログラムしておきながら発動させない機能として置いておくこと落ち着いた。

一通り話し終えた時、トァンらを襲う人物が現れる。
ヴァシロフである。
彼はグループの分裂した少数派、ミァハ陣営の一人であり対立派の首脳ヌァザを狙ってトァンをマークしていた。
トァンは攻勢に応じるが相打ちとなる。
ヴァシロフは倒れ、トァンの代わりに倒れたのは銃弾から庇ったヌァザであった。
トァンは死の間際のヴァシロフからミァハの居場所の手がかりを得て、とどめの引き金を引くのだった。

ミァハを追ってチェチェンに向かうトァン。
途中、シュタウフェンベルクを含む螺旋監察官の会議があり、彼女と二人きりになった時シュタウフェンベルクも<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>のメンバーであると打ち明けられる。
そして初めからトァンがミァハと接触することを期待され、泳がされていたことが判明。
ヴァシロフも同じくヌァザ捕獲のためにトァンを利用していた。
トァンの行動全てがグループの注目となっていて今後の世界の行方、つまり人が意識を消滅させる必要があるかどうかという決断もトァン次第だと告げられる。
ミァハが世界に示した約束の日。
トァンは13年振りにミァハとの再会を果たす。
大災害の後、人類は幸福か真理か、二つの選択に迫られて高度福祉社会という幸福を選んだ。
超自然の力で世界を人工に置換した。
一線を超えた人類には後戻りという択は無く、ヌァザの元で人間が意識であることの限界を突破できることを知ったミァハは真理に至るべきだと思考した。
しかし<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>の中枢はそれを作っておきながら意識の消滅を死と捉え、ミァハは人類を人質に、システムの起動を要求する立場をとった。
全てを聞いたトァンはその後の世界、ミァハの望むものになることを受け入れ、それでもミァハにはその調和の世界を与えないという復讐を宣言する。
つまり銃を向け、御冷ミァハを殺害した。
薄れゆくミァハの意識に従い、トァンはチェチェン、コーカサスの山が見えるところでその時を迎えた。
<次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ>の中枢たちが意識消滅のスイッチを押したのだ。
真冬の山、極寒の粉雪の中、体の感覚が失われていく。
大気の冷たさと、身体の冷たさの境目が曖昧になる。
さよなら、わたし。
白雪の冠を被った山脈を眺めながらトァンの意識は失われた。

以上が人類の意識最後の日。
全世界数十億人の「わたし」が消滅した日
本テクストは、それについての当事者であった人間の主観で綴られた物語だ。

感想
読後第一に残るのは、一人称を務める人物の主観がストーリーに与える効果が際立っていたという印象。
巻末の解説では作者が第三者視点の作品に対する違和感を持っていることが語られていた。
その違和感と一人称視点の優勢が、トァン視点による怒涛の展開をする本書を根拠に突きつけられたようだった。
少し見下していたキアンの真実と突然の自殺。
父ヌァザや御冷ミァハの正体。
大きな事件と身近に散りばめられていた細かなポイントを回収しながら前に進む物語は少々難解な概念を置きつつも理解可能な範疇で、軽く読み返すことでより深まる作品。
パラレルワールドな突飛なSFではなく、現実と地続きの未来を仄めかしているため団体やグループの用語が少なくない。
作者は特に軍事的な方に明るい印象を受けた。

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