鬼滅の刃に隠されたテーマ 人気考察
現在(2020年11月11日)公開されている吾峠呼世晴先生原作の漫画『鬼滅の刃』の映画、劇場版鬼滅の刃無限列車編は一種の社会現象となり世間では人気を博しています。
いったいその人気の理由はどこにあるのか、漫画を読んで個人的に考えた点をいくつかにまとめて見ていこうと思います。
今回は具体的なシーン・場面に触れるのではなく作品全体を通して受ける印象の話になるかと思いますが、作品全体ということはもちろん多かれ少なかれネタバレを含みますので未読あるいはネタバレが気になるという方は自衛していただければ幸いです。
それでは早速ですがなぜ本作は有名となったのか。それは、人間という存在(あるいはその生)とはどういうものかを鬼という対照的な存在とともに、登場人物たちへの共感を説得の根拠として読者に訴えかけている作品だからだと考えます。
まわりくどい言い回しですが簡単に言うと以下の3つになります。
⚪︎わかりやすいストーリー(ぶれないテーマ)
⚪︎好感がもてる主人公の人柄
⚪︎人vs鬼の構図で描き出される人の生
順番に見ていきましょう。
まずわかりやすいストーリーについては言うまでもなく主人公や彼が属する鬼殺隊の目的が鬼の殲滅、究極的には鬼舞辻無惨と言うボスを倒して平和な世の中を作ることであり、主人公個人としては鬼となった妹を元に戻すという課題も抱えています。
ここで物語をややこしくしないのはボスしか鬼を増やすことができないという設定です。この設定のおかげで一般人は鬼の存在を知らないために余計なパニックを起こさず、また話題が拡散せずにある意味閉鎖的な中で物語を進めることができます。読者は本編とは関係のない点に疑問を抱かずストーリーに集中できたのではないでしょうか(もし一般の鬼が鬼を増やすことができたとしたら、ゾンビものの一種となっていたでしょう)。
次に好感がもてる主人公の人柄についてですが、ここについても語るまでもなく作品を読んだ方であれば彼の底抜けの優しさのことを言っているとわかるのではないでしょうか。彼自身が人に尽くし与えるだけでなく、しっかりと他者からの施しを受け取りそれを継いでいく点にも読者の心に響く描写が多分にあります。
さらに彼の存在は鬼殺隊の中で異端な存在であることもまた共感を得るポイントでしょう。つまりは鬼への同情で、これは匂いに敏感な彼だからこそ持ち得る感情です。主人公とその同期たちは五感のいずれかに秀でていますが、主人公がなぜ嗅覚に優れているのか、その理由は共感を生む鬼たちの滅びゆく末の物語を語りたいがためなのかもしれません。目には見えず肌では感じられないそれぞれの鬼の抱える事情。主人公のみがそれを汲み取ってやることのできる唯一の存在であり、嗅覚こそが彼の存在を特別たらしめる要因の一つなのです(善逸の聴覚も主人公のそれに類似していますが、残念ながら彼は戦闘中眠っています)。
最後の人vs鬼の構図で描き出される人の生ですが、ここから話題タイトルの隠されたテーマについて見えてくるものがあります。人間側には鬼殺をしている理由やその過程で支えられた人がいて、鬼には鬼になった経緯や理由(だいたいが死後の後悔)が語られます。その構図を以て作者が伝えようとしたことの中に、「想いの継承こそが人の存在意義の一つである」ということがあるのではないでしょうか。
作品の端々に人々のつながりを感じる言葉・シーンがあり、それを軸として展開していくバトルが魅力でもあります。最終の鬼舞辻戦では特にそれが分かりやすく描かれていたように思いますが、この場では特に技(呼吸)に注目して想いの継承について話していきます。
少年漫画一般に言えることとして派手な必殺技名があることがその一つに挙げられますが、鬼滅の刃ではいうまでもなくそれは呼吸にあたるものです。しかし本作が他の作品と異なっている点は、それが特定のキャラが扱える特定の技ではなく流派のようなもので、種類はあれど主人公をはじめとする主要キャラに過度な力の偏りがないところにあると思います。
それぞれが師匠を持ち、想いと共に継承されていく技一つでさえ人生のある一面を表していると見えるでしょう。また主人公が作品途中で扱う「日の呼吸」は、連続して使うことで一つの技となるという点で「人と人が繋がって(繋げて)続いていくのだ」という見方ができ、それこそが始まりであり最強である理由なのかもしれません。
人生の意味は、その生が終わるまで誰も見当がつかないものだと思います。もしも途中で自分の天命を悟り、生涯をそれに捧げることができたらそれはそれで幸福なことでしょうが、そのような人はほんの一握りでしょう。それではなぜ私たちはなぜ生まれ、何のために日々を営んでいるのでしょうか。
日常に忙殺され、考えたところで答えのないその意味を求めても何も解決されることはありません。しかし人生に意味は見出せなくとも私がいま私として、貴方がいま貴方として生きていることには何かしらの意味が存在しているのではないかと考えたことがある人は、その答えが見つからずとも少なからずいるのではないでしょうか。
鬼滅の刃はその一つの答えとして、「つながっていく人と人の連鎖のそのどこかに貴方もいるのだ、貴方も必要なのだ」と示してくれているように感じます。
鬼殺隊だけでなく鬼をも語ることで、挫折と理不尽に屈してしまうのもまた人なのだと、あわせて人の生なのだと慈しく教えてくれているような気がしてなりません。そして鬼側のそうした背景も汲んで同情をくれる主人公に、私たちはまた共感してしまうのです。
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