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インフィニティNAOのアート人生物語

こんにちは、(初めまして)
あなたの大切な想いを繋ぐインフィニティアーティストNAOです。

この記事は、以前からNAOの作品を手に取ったことがあるけれど、
実は、あんまりNAOのことって、知らないかも?であったり、
今日、偶然にもこの記事へ出会ってくれた人、
これから出会っていただける方のために、記してみます。


? いつからアーティストになりたいと思ったの
? どういう活動をしてきたの
? どうやってアーティストになってきたの
? 好きなことでいきるってどういうこと



NAOのアーティストライフに対し、ご興味ご関心を持ってくださる方は、
どうぞ先へ、お読みいただけると嬉しいです。


1990年、千葉県生まれ。8月生まれの獅子座、A型。
一級建築士の父と、看護師の母の間に、一番最後の子ども、末っ子として生まれました。


まさか、これは岡本太郎のオブジェですね!?
未来を暗示していたのでしょうか…?笑
記憶がありません笑
(私は左の子です)


1週間のうち1日しかない水曜日休みの父に、沢山一緒に出かけてくれたと思います。
小さい頃から動物が大好きで、最初は獣医になりたかったです。
「どうぶつ奇想天外」や寝る前に動物図鑑を見ながら寝落ちするのが日課でした。


この蝶のパタパタが大好きで、
壊れては買ってもらったような記憶があります…笑




けっこう断捨離してきたので、見つからないと思いきや、
小さい頃の描いたものが、出てきたので載せておきます笑



全てを綴ると長くなりますので、一応、転換期かなと思う、
高校2〜3年生、17歳〜18歳、美大受験の頃〜からの話を、綴ってみますね。

花描くの、好きだったのかな
ひまわりが、青いです笑

〜 美術の道を志し始める 〜


高校2年生の時、絵が得意で好きだったことから、なんとなく、美大進学を考えました。美大進学には、美術専用の予備校というのがあり、通う必要があります。
一度、美術予備校に通ってみたものの、学校の中では1番上手いなんてチヤホヤされていたけど、「私より絵の上手い人ってこんなにいたんだ…自分の才能になんて勘違いしてしまったんだ!!涙」と思い、即挫折。
現実を突きつけられた瞬間でした。。。
それに、私には、上きょうだいが二人いて、二人とも私立通い、兄は薬学部進学で6年制だっため、学費も増し増し…。
修学旅行はハワイだの、イギリスだの行ってました。すごいなぁ、私立。
私は全て国内(笑)国内でももちろん十分ですよ。

看護師をしている母親はよく「お金ない、お金ない」と言っていました。
私自身も母親の顔色をうかがうようになり、「お金がないなら、こんな根性なしの私は美大受験あきらめた方がいいのかな…?将来うまくやっていける保証もないし…やっぱ普通のいい大学がいいのかなぁ。」などと一度予備校を辞め、一般大学入試を考えます。


でも「やっぱり、なんだか諦められない…!」「もう嫌い、苦手な教科を学ぶのは嫌だ…!」「大卒の証が欲しいからって、適当な学校行っても絶対中退しそうだ…!それこそ時間とお金の無駄だ!」と再度美大進学を高3秋に再決心しました(母親とバチバチのバトルを経て…)。
周りは推薦やらでアッサリ進路が決まっていて、遊んでいました。学校にも馴染めず、図書室で一人お弁当を食べていました。教室にいたくなかったのです。毎日お腹がチクチクする痛みを抱えながら、過ごしていました。。現役では、やはり不合格…。
1年間、死に物狂いで猛特訓、予備校と図書館で毎日勉強、缶詰状態の日々を過ごし、晴れて武蔵野美術大学へ入学。

(余談ですが、美大受験はやっぱり最低1年間予備校に通うことは必須だと思いますよ。あとなるべく早いほうがいい。)



〜 念願の美大へ進学 〜



美大生時代はものづくりを学びました。(専攻は染色・テキスタイル)
4年次に就活することに迷いを感じながらもスーツを着て就活。違和感でしかなく、選考が通過しても「自ら辞退」して人生を棒に振ってしまいました。大学の芸術祭で個展ブースを開いていたところ、成功しているアーティストの非常勤講師に「キミ、面白いね。」と声をかけられ、何度も食事の機会をもらい「アートで生きる」ことを食事の間で示してくれました。

「確かに、このまま好きなことで生きていけたらいいな…」と思いつつ、卒業制作で忙しいことを言い訳にして、就活をストップ。
未就職のまま、卒業してしまいました…。半年、東京でバイトをしつつ就活など過ごしたあと、家賃7万円も自分の力では払えず、千葉の実家に帰る流れになりました。。。

せっかく、武蔵美に入れてあげたのに、未就職だなんて、さぞかし、ガッカリさせたと思います。。このとき、罪悪感でいっぱいでした。自己肯定感なんて0どころか、マイナス1000000くらいだったと思います。

そこから這い上がるのが、とても大変でしたね…。


NAOが学生時代にしていたことをもっと知りたい方は




〜 人生の路頭に迷う 〜



「その先へ」水彩画時代の作品
【 SOLD-OUT◉完売 】


「愛の芽生え」水彩画時代の作品
【 SOLD-OUT◉完売 】


 最初から「私は、フリーランスのアーティストです⤴︎♩」だなんて、言ってられませんでした。それはそれは、、、うまく行くはずもなく、バイトの日々を過ごしました。「アーティストです!」なんて長い間、自信を持って名乗れなかったです。要は、バンドマンや、お笑い芸人たちとなんら変わらない、夢追い人のような感じです。

「それさぁ、若い頃はいいけど、将来どうするの?」


夢見るライオン・2015
水彩画時代


夢見るライオン・2018

私を見る周りの視線がなんだか、いつも、こんな感じがしましたし、
あとは、

「まぁ、せいぜい30歳までだな。」

「そのままの延長で、何か変えないと、単なる主婦くらいでキミの夢は叶わず終わだろうね。」
(主婦が悪いとかそういうことではないです)

「みんなさ、食べれないから世界堂とか時間給で働いてるんでしょ?同じことしてたら、だめじゃん。」
(*私の言葉ではないです、その審査員の考えですよ)

と、現実を突きつけられたこともありました。

この言葉を言われたのは、とあるコンテストで受賞し、私は受賞パーティーに参加しているのに、審査員のアーティストに言われたのです。

帰り道、ほんと〜っに、怒りと、悲しみでいっぱい!”になりました(笑)
なんで、受賞してるのに、けちょんけちょんにならな、アカンねん…!
今は笑い話で話せますが、最悪な気分でしたね〜。

キミの表現したいことは、なんなのさ?



情熱のライオン・2017


言われたことは事実のような気がしました。「これが私!」という作風も、なかなか決まらず、

色鉛筆、ペン画、水彩画、できることはなんでも思考錯誤を重ねていました。この時、憧れで、恩師の米国水彩画家ゲイリーブコブニック氏と京都で交流。3年間水彩画をやってみたのち、「私、水彩画じゃなかったかも…。」「師匠ゲイリーのような絵は、私に描けない。」と画材一式断捨離し、アクリル画へ転向したのです。自分の作風をまた新たに模索し続けました。

現在の作風になるまで、およそ、5年間かかりました
ちなみに、
この審査員に言われた言葉で、着実に炎がついていったような気がします。



ゲイリーさんについて過去語った動画




「私の人生ってどうなっちゃうのかな…」


バイト生活が、もう4〜5年も経とうとしていました。。
どこか、他人事のような気持ちで、「誰かぁ〜〜〜涙」とすがるような気持ちでした。精神が不安すぎて、連絡できる友達にLINE、電話で話を聞いてもらっていました。。。

「払うものもちゃんと払えないし、このまま実家暮らしじゃまずい、マズすぎる,,,!」(もう、やるっきゃない….!!!)

「あなたを信じます。」
オーダーアート

〜 お金を引き寄せるには、これしかなかった 〜


 そう思って、父のつながりで、以前から「私の絵を買いたい」と言ってくれていた経営者にいきなり「話があります…お時間頂戴できますか??」と電話をかけるのでした。
たまたま入ったサイゼリヤで「私、アーティストになりたいんです、絵で生きていきたいんです…。」と頭を下げる。(つまりお金が必要で….モソモソ…)。絵を買ってもらう代わりにアートのレンタルで継続的な収入を直接得ることに成功。その資金を独立のために突っ込み願望実現を加速。その時であったコミュニティの方から、初めて高額オーダーを受注するなど、実践の場で成功体験、経験を積んで行きました。

この頭を下げてお金を得た話は、実は電子書籍にもまとめてあります…
読んでない人は、本当、読んでほしいです。
だって、できあがるまでに、3、4ヶ月かかったんだもの…苦笑


自分色獅子2016
化粧品会社アルビオン所蔵



自分色獅子2020
自分色獅子2021

〜 「自分色で生きる」を、現実にしてゆく 〜


「自分のことは自分で賄いなさい。」


 幼稚園生、4、5歳から「自分の履いた上履きなんだから、自分で洗いなさい。」そう言われて育ちました。
20歳を超えてからも「自分のことは自分で賄いなさい。」世間のイメージする理想の優しそうなお母さんとは全く違い、厳しめな母親にず〜っと言われてきたことでした。
今思うと、当然のことだった、と思います。「好きなことで生きていく」は生半可な気持ちでは、到底、実現できないと感じます。
ともあれ、なんとか念願だった家出も、知人に頼み、レンタカーを借りて成功。一人暮らし+アトリエライフを充実させていきました。





【アートde開運ショップ】

 オンライン店【アートde開運ショップ】も運営し、アーティストライフを少しずつ着実に軌道に乗せていきます。
「虹の橋に渡ってしまった」ペットのオーダー
「家を守るガネーシャ」
「奥さんを喜ばせたくて妻を描いてほしい」
「「将来レコードバーを開きたい」など、
さまざまな個人的な想いのオーダーを沢山受注しています。
アートに皆様の願い、大切な想いを乗せて届けていくこと、
アートにパワーを乗せて届けていくこと
が使命と感じています。





2023年には、台湾の銀行、台湾のコレクターへオーダーを納品するなど、美術作家として実績更新中。




未来の二人2022
かけ橋の花束
F8号2枚組


プライベートでは、ツインレイと呼べるパートナーとの出会いを引き寄せ、2023年、梅雨時期には、無事、結婚いたしました。

リアルでも、オンラインでも、温かなお言葉、本当に本当にありがとうございました。この場を借りて、御礼申し上げます。


このような私ではありますが、どうぞ今後とも、これからの作風の変化なども合わせて、応援、温かくお見守りいただけますと嬉しいです。ご縁のある皆様、よろしくお願い致します🍀




第二の目覚め・2023



from ♥ インフィニティアーティスト N A O .

この記事の更新日:2023年 8月9日





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よく「自分の本当の思いを引き出してくれる」「魂が込められている」そんなお声をいただいております。
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♥┊インフィニティアーティストNAO ☆.。.:*・゚
♥┊アーティスト
♥┊8月生まれの獅子座
♥┊数秘マスターナンバー33
♥┊血液型A型

🦁🎨🦁💖🦁✨🦁🌈 ☆.。.:*・゚
「インフィニティ」は誕生月の「8」のカタチから命名。
獅子座であることからNAO自身を意味するアイコンに。Leoはハワイ語で「メッセージ」の意。
数秘33の性質と自身の人生経験を活かして届けたい想いやエネルギーをアートに込めて描く。
https://lit.link/nao6infinity

♥┊ 「アートのある素敵な毎日、始めてみませんか?」
作品はご自宅やオフィスで、気軽にお楽しみいただけます
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♥┊NAOの自分色人生物語
https://note.com/nao_infinitysix/n/n22c5d4b7b1ac

♛【インフィニティアーティストNAO┊今までの受賞歴】
https://note.com/nao_infinitysix/n/n040e796e031f

♛【 ほか実績┊お仕事の経歴 】
https://www.behance.net/nao_works


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