自分の弱さが、"自分にしか差し出せない優しさ"に変わる時 (逆転男子保育園回の高橋恭平くんの話)

今日も今日とて恭平くんが愛おしい。
ナチュラルに韻を踏むくらいには愛おしい。

多忙で溜まってしまった動画を一つずつ堪能している最中に、改めて思う。
私、高橋恭平から目が離せないのよ。
なんで…やはり前世で夫婦だったの…(黙)

とうとう最新の逆転男子でなんだかウルっとくるまでになってしまったので、その気持ちを記しておこうと思います。

保育園の先生に全力チャレンジ!企画後半編、来週までTVerで観れるので是非見てください。1番子供達に人気がなさそうという評判で臨む恭平氏、確かに他のメンバーよりぎこちないのがまあ予想通りというか。そんなとこもまあ好きと言うか。

注目いただきたいのは、中盤、椅子取りゲームで他の子供と席を争ってしまい、ジャンケンするでもなくプイッと戦線離脱してしまった子を追いかけたシーン。

いいの?大丈夫か?優しいな。
えらいえらい、なんか一緒になってな、どっちやろ?ってなっちゃってんな?
譲ってあげてんな?譲ってはないんや(笑)
大丈夫大丈夫。

そうやって足や頭をトントンと叩いてあげる彼を見てなぜか急に涙腺が緩んでしまう私がいて。

でその後の審査員てぃ先生の言葉で納得した。

これ、超完璧です!
お子さんの悲しい気持ちをちゃんと言葉にしてあげてましたよね。やっぱり4歳5歳6歳のお子さんでも、なかなか自分が考えていることを整理して言葉にするって難しいんですよね。
だからそのお子さんが抱えている悲しい部分を言葉にしてあげるのが素晴らしかったです。

ああ…恭平…!(号泣)

4歳5歳6歳だけじゃない。
大人だって言葉にするのは難しいんだ。悲しい、悔しい、やりきれない気持ち。
それでも周りとうまくやるため、日常をこなしていくため、一般的な言葉を借りて、自分の気持ちをなんとか説明づけようとするのが大人だ。

恭平くんは自分の感情から一切逃げない人。独自の感性が周りに伝わらないもどかしさを日々抱えながら、それでも"そう思うんだもん!"と主張しながら強く生きている。
ちょうどその直前に見たYouTube、ゲーム企画で支離滅裂な発言をし天然と呆れられまくる姿を私は思い出していた。


そんな彼が、一言一言、自分より20個近くも下の子の言いたいことを彼なりに言葉で説明しようとしている。
例えばこの表現、一般の大人にはなかなか出せ得ないものだと思うのだ。

なんか一緒になってな、どっちやろ?ってなっちゃってんな?


どっちやろ?ってなっちゃってんな、が、その子のちょっとしたパニックを受け止めてあげられたんじゃないだろうか。
"ジャンケンせず譲ってあげたんだね、優しいね。"綺麗だけどそれだけじゃ涙の理由にはならない。

おそらくきっと彼自身も思い当たる節があるのだ。自分の言動が全て、何か冷静で崇高な判断に基づいているわけないじゃないか。
混乱とか躊躇とか、そんなひとときの感情が外に出てしまうことなんて、あって当たり前、恥ずかしいことでも隠すべきことでもない、と彼は己の生き方を持って自然と理解しているんだと思う。とかく大人がなかったことにしたい、そういうみずみずしくもリアルな感情を彼は忘れず抱えて今も生きているのだ、きっと。

自分にしかない情けなさが、自分にしか差し出せない他者への優しさに変わる。変えられる。
言葉にすると大袈裟だけど、そんな尊すぎる一瞬を、この恭平くんと男の子のやりとりで目の当たりにさせてもらった気がする。
そしてこれまた大袈裟だが、人が人として人生で達成するべきひとつの成功の形でもある思っている。持って生まれた個性を辛くても大事に抱えて、他の誰かを救うオリジナルな武器とすること。

恭平くんと同じ属性を持つらしい私、本当にハッとさせられて。生きづらいなと思う時、どうして自分はこうなんだろう?と自分のことばかり考えがち。でもこうやって他人を理解するためにその繊細さを差し出せるといいよなあ、そのためにこの生きづらさがあるんだよな、なんて。
↓ENFPの話はこちら


とにかく私が園児だったら最後のジャッジのところで真っ先に恭平先生のところにいって抱きつくんだけども。残念ながらいい大人なので、お互い頑張ろうな"と心の中で恭平くんと概念的なハグを施しておきたいと思います。

好き、とか推せる、とかそういう他の人たちに向けた手放しの感情とは違う、ただただ愛おしい気持ちが高橋恭平くんにはあるというお話でした。


スペキスからそろそろ1年ですか…。
久しぶりに聴くことにします…!

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