#AぇDNA_Hello 〜僕たちの「日々」と約束
Lylic videoが公開された当初、私自身あまり未来を前向きに見れておらず、爽やかで美しすぎるこのメロディが全然刺さっていなかった。さーっと通り過ぎる風のように心の表面をかすめて行く感じ。
「人生史上の最高地点」はとうの昔に実は過ぎていて、もう放物線の下降局面なんじゃないか、なんて俯いていた年末のことである。
それから数週間の間に色々あって、自分の未来が見えるようになって、「人生史上の最高地点」は「まだ」来ていないんだと思えるまで体力も自信も回復しました。
そこで改めて聴いたこの曲、Hello。
未来を信じて努力できる若者にしか響かない曲、なんかじゃなかった。
これは、「日々」の歌だ。
美しさの水面下に隠れている、なんでもない日々を救い、讃え、そして続く日々に向けて決意を新たにする歌。
あくまで、今の私が捉えた感想ですが。
1.才能「だって」足りなくて
Hello、サビのリズムがいいんですよね。
ぼくたちは才能だって足りなくて〜と破裂する強い音と軽い音が混ざってスキップするような。その軽やかさでついつい流してしまうんですが、ふと気になったのが
才能「だって」足りなくて
という言い回しでした。
この「だって」から、主人公は才能の他にも他にも足りないことが同様に沢山あることを言いたいことがわかります。
Aぇ自身のことを指しているとしたら、才能がないなんて言うなよ…と聞き手である私は思ってしまいますが、このアイドル戦国時代ではそう思うのも仕方ないのかもしれません。才能だって、華だって、環境だって、運だって、タイミングだって、足りない。
このフレーズに対応するサビの始まりは、3回ともネガティブな感じです。
才能だって足りなくて。
何回だって間違って。
何回も立ち止まって。
しかもそのネガティブは一つじゃない、たくさん。何回も。
軽やかに・爽やかに聞こえるメロディは実は氷山の一角で、その下に隠れている「決して軽やかでも爽やかでもない日々」の存在がこの歌を美しくしているような気がして来たのです。
2.名前を呼ぶその声
そんなネガティブに応えるフレーズとしてでてくるのが「名前を呼ぶその声」。
名前を呼ぶその声に手を引かれ走ってきたんだ
名前を呼ぶその声に照らされて走って来たんだ
名前を呼ぶその声が届かない日なんてなかった
当初はきっとファンのことを言ってくれているのだろうな…と想像し、ライブ会場で耳にするようなAぇコールをずっと思い描いていました。
それに加え今回2番を聴いた感じ、仲間の声という意味も多分に込められているのだと思います。だってねMVのもんビバね……なんかのアニメだかドラマだかにしたいくらいのゴールデンコンビ感だもんね……?
(追記:もしかしたら名前を呼ぶその声は自分が発していたのかもしれない、とも思いました)
おびただしいネガティブに負けないのは「名前を呼ぶその声」。ファンからだろうが仲間からだろうがその名前は「Aぇ」です。夢とか希望とか全然当てにならないときというのも確かに人生の中には存在していて、そんな時「名前を呼ばれたから」というただの反応のような、シンプルな理由で人は光を見つけ、走れてしまうのかもしれません。
彼らは、お互いを呼び合う名前=自身の存在意義「Aぇ」で走り続けられた。こじつけかもしれませんが、MVの中で、プロモーションの中で、身近にある「A」を探すというのもこうした思想とリンクしていると思いました。未来は見えなくても、走る理由なんて意外と簡単に見つかるのかもしれない。
3.サヨナラをしよう、約束をしよう
サヨナラをしよう
願うだけだった日々と
Lylic videoでばーんと描かれたインパクトある言葉が「サヨナラをしよう」でした。この感じが、受験応援CM感を醸し出していましたよね。
そして最初刺さらんな〜と思っちゃったのもここなの。ひねくれた大人の考えかなとも思うんですが…こうやって行動を起こせばいいって張り切って言える状況な時点で結構夢も希望もあるんじゃないか?「人生史上の最高地点 到達まで後何光年」って、タイムリミットの迫った1年半前の彼らが心から思ったかと言われると個人的には疑問で。だって何光年か後だとしても未来に最高地点はあると信じれたわけでしょ。
だからこそHelloはデビュー旋風がひと段落ついたこのタイミングで歌われるのがとてもよかったと今思うのです。
ひとつの栄光が終わって、一息ついて、
過ぎて行った日々を美しく歌いながら
また走り出すためのエンジンをかける
歌だと思えるから。
デビュー発表があって、デビューがあって、新人賞も取れて(追記:年間新人賞もおめでとう!)。未来に向けて吠える歌を歌い、がむしゃらに走り、活躍を讃える紙吹雪が舞う中、さあ次はどうしようかと晴れやかな覚悟の顔で歌ってほしい歌だなと思ったのです。
そしてご紹介したい私の大好きなフレーズ。
ごめんねもありがとうも伝えきれてないから
約束をしよう
サヨナラをしよう、と同じ場所にあたるのがこの、「約束をしよう」なのです。ここ、ここが好き。
願うだけだった日々とサヨナラした後、彼らから紡がれる言葉は「ごめんねもありがとうも伝えきれてないから 約束をしよう」。
何に、何を約束するのかはよくわからず末澤さんの美しいうぉーうぉーになっちゃうんですが、私多分これから待っている「日々」に対する約束ではないかと思うのです。
きっと彼らはもう一度、潜る。ネガティブに。自分たちの足りなさを自覚して、何回も立ち止まって…を繰り返す日々に。
ここまで来た道のりと日々を思い返して、愛でて、ねぎらいと感謝(ごめんねとありがとう)を伝えて、でもそれじゃ足りなくて。
だから約束する。
暗い水の底のような日々を過ごすとしても大丈夫だよ、名前を呼ぶ声に向かって走るから、また。
そう言ってもらえていると私は受け取ったのです。
2025年、デビュー2年目の年になるね。
キラキラだけじゃない、大変な日々を一緒に乗り越えられるよう、目を凝らしてAを探し名前を呼び続けるよ—— そんな決意の余韻と、末澤さんの力強い「ひびーとー」がいつまでも響きます。