なにわ男子さんの逆転男子保育士回はなぜこうも尊いのか

なにわ男子さんの冠番組「逆転男子」、先々週から、子供たちと遊んだり紙芝居を見せたりという企画が続いている。


なにわ男子×保育士、
なんでこんなにいいのかなあ…

彼らののいいところ、特に活動の根本に根ざすエンタメの普遍的な良さががめちゃくちゃ出ている、んだと思う。
3つのキーワードでまとめてみました。

1.'コンテクストレス' である最強さ

保育士回らしからぬ単語を使ってしまいました。コンテクストとは、物事を理解するにあたっての共通理解や背景のこと。例えば「ハイコンテクストな笑い」、は内輪ノリの面白さと言い換えることができるかもしれない。この人はこんな人で、この人とあの人の関係性はこうで…と背景を把握して初めてわかる性質の笑いのこと。

SNSの普及もあって、かつてテレビの向こうの「業界」に限定されていた内輪ノリが市民権を得つつある。オフィシャルではない裏側が、誰かをいじって逆説的に確認できる連帯感が、インフレのように価値を増していく。一方で内輪ノリに浸かりすぎると一定数が抱くネガティブな心情にびっくりするほど無頓着・無関心になるんだなあという危うさも感じ始めてきた。

ということでえらい前置きが長くなったがなにわ男子である。
ほとんどと言っていいほど共通理解がない子供たちを相手に繰り広げる、ハイコンテクストどころがコンテクスト不在のエンタメ。大人の大爆笑を得るよりよっぽど難しいんでないかと思う。

それでも前向きな態度で相手に向き合い、全力で取り組む。後述の彼ら自身の強みが合わさって、子供たちの笑顔を作れるなにわ男子がとにかく素晴らしいのです。
これぞ最強のアイドルなんだと。

2.隠せない彼ららしさ

そんなコンテクストに頼らない彼らのエンタメ、その1歩の踏み出し方には本人たちらしさが滲み出していて、非常に愛おしい。

例えば恭平くんは前回と同様1人にとことん寄り添う、企画趣旨ガン無視スタイル。最後の方は保育士感すらもなさそうで…。でも多分これが高橋恭平の第一歩目なのだ。照れながらも自分のまま、自分にできることをできる範囲でやる、そんな腹を括った誠実さがとにかく高橋恭平。

個人的に面白かった道枝くん。前回ギターを持ち出して女の子を引き連れ、「ディナーショー?」とつっこまれていた彼は、センスに自信がないが故に、差し出せるものの中で現状1番打率高い俺自身を出すか…って本気で思っていそうで。ピュアかつ実際に魅力抜群な彼だからこそ、逆に自意識ゼロに見える思考と行動がめちゃくちゃいい意味でツボなのでした。

紙芝居が強かった大西畑。王道を堂々と歩く力はまさに普遍だった。ここで魅せる!ところの力の入れ具合が決まっていて素晴らしい。誰しもが人生の中で通る「ヒーロー/プリンセスになりたい」「魔法を使いたい」みたいな願いの延長に生きる2人だからこそ、子供たちとも共通理解の楽しみを作れたんじゃないかな。そして人類最大の内輪ノリはウンチであることを学んだ。


3.キラキラ感の正体

彼らを見て時々勝手に心配する。
キラキラを必要以上に求められているよな、アート性・成熟性・スキル面を過小評価されないかな、とか。

でも保育士回を見て改めて思ったんです。
彼らがキラキラしているのは、求められて演じているからではなく、ただ自分にできる範囲の最強のエンタメの第一歩を、いつも全力で踏み出しているからなんじゃないかな。

子供たち含め誰の前でもブレない、「人を笑顔にできる最小単位」を彼らはそれぞれ持っていて、それが小さな光の粒となって輝きメンバーの中で乱反射する。そんなイメージを、この前のWE AREやCDTVのパフォーマンスを見て想起した。それが彼ら自身の人間性から無理なく延びていることも幸せと笑顔の理由かもしれない。大橋くんのやたら1人目立つ身体の動きとかもそう!

能力が高いから結構なんでもできるんだけど、そこにキラキラをプラスするからなにわ男子流の最強なエンタメに仕上がる。それが今回の+Alphaのコンセプトにつながるんじゃないかな!とこれまた勝手に想像し期待している。

あー尊い、尊いです😮‍💨


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