未知は、もっと、堂々とする。その訳があったから。その壱
わたしが生まれたことは、罪だと思ってきた。
大きな罪、災いでもあったのだと思い、
世界に対しては、罰を捧げてしまった、
素晴らしい言の葉っぱ
は、
天はドブでもいいとまでは話したが、
それがほんとには泥に咲く花、
お釈迦様のお座りになられるお椅子、
しかし泥くさい葉っぱにまみれた蓮の花のやうな「奉って」しまったと、くじいた。
胎内記憶から、
「おかあさんになるおばさん?もういいから。」
そう、念じていた。
知らないおばさんは、
比喩、
田んぼを眺めて低水にわたしを鎮めると、した。
『それでいいのよ。』はなしかけた。
とどかない。きかないからききはしないから。耳、耳を傾けて聞いてはその時も貰えなかったから。
でもわたしは、うまれてよかった。
話しは、こうなる。
【竹取物語】かぐや姫の昇天
一節、このやうなお告げって話しかけがあった。
「一人の天人言ふ、
『壺(つぼ)なる御薬たてまつれ』」
一人の天人(てんにん) とは、
わたしその昔かぐやならば、康(やすし)のこと。
天人の康は、かぐやの私に言うには、
次に、現代語訳し、口訳し、
「壺にあるお薬を召し上がれ」。
わたし未知は、やすしが、好き。
「壺、」。
先ずこれを口に出して詠んでみよ。
免罪符、….
皆は、我が為に免罪符となってくれる恋人を持ったことはあるか。わたしには、かつてだが、
それがある。免罪符って、どれだけの相手の想いとやらよりも、どれだけの相手への乗し掛かえ抱える罪、そして罰とも思うことをお祭りのように心待ちにせる心構えの重力に痛さを感じても尚、打ち勝てるかは必ず勝てるからと約束を堅く誓う、相手への相手がそれを己とし、誓う。自分だけに誓いきる。
全くはなしの内は、「壺、」。に戻る。
とぅるー 鶴、真実の壷の入り口に更なる摘まみ蓋の奥に鍾乳洞があり申す、申すことのよしよアマツカミクミツカミ八百万の神たちもろともに、壺。
このつづき、やっと,
〜弐〜 となる。だが壱は、でもまだ完結間際だ。
どれだけ「壱、壱、壱」と、壱へと留まったまま幕は壱までの一篇になったままが続いていただったかに、
気付いては、誰かいたか。天人どののみか。
うまれた、世界といふ地のある毛布。
まだ、立てないけど、すこしくプカプカしてるよだけど、
私なりの世界を出産した。おくすりは、よのはじまりでは、にがくはなかった。
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