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「そういうこともあるよ」を教える役割
「ママはもうおっぱい出ないの?」
「出ないよ」
「でも、また赤ちゃん産んだら出るんでしょ?」
そうだね、出るよ。そう答えようとしたところで、ふと考え直す。本当にそうなのか?そんなの、わからないじゃないか、と。
わたしは2人を完母(完全母乳)で育てた。幸いというかなんというか、母乳の出が悪くて悩んだことはなく(出なかったのはせいぜい、上の子を産んで1、2日目くらいまでのことだった)。わざわざミルクを使う必要性に迫られなかったこと、母乳に慣れてしまった子どもは哺乳瓶を受け付けなくなったこと、ぶっちゃけミルク育児って大変そうだと思っていたこと、などの理由から、子どもたちが1歳を過ぎて卒乳するまで母乳育児を貫いた。
だからこそ、わたしの中には「赤ちゃんができれば必ずおっぱいが出て、それで赤ちゃんを育てる」という先入観がある。でも、実際のところそうとは限らない。母乳で育てたいと思っても、うまく出なかったり、量が足りなかったりすることだってあるし。仕事なんかの事情で、あえてミルク育児に切り替える人もいる。
いまどきのミルクは栄養満点だし、腹持ちがよくて夜長く寝るって聞くし、人に預けるときもお願いしやすい。メリットたくさんだと思うのだけれど、それでもミルクで育てることに対して、罪悪感を持つお母さんもいると聞いた。「母乳神話」などのせいで、母乳が思うように出ないお母さんに対して、思いやりに欠ける言葉をかける人がいるとも。
その苦しみは、経験していないわたしに「わかる」とは言えないものだろう。「つらいだろうな、悲しいだろうな」と想像するくらいしかできない。だからせめてできることといえば、子どもに対して「そういうこともあるんだよ」と伝えるくらいのものだ。
「うーん。次、赤ちゃんを産んでも、おっぱいは出ないかもしれないな。君たちを産んだときより年を取ってるし、出るのが普通ってわけじゃないからね」
そう答えたわたしの顔を見て、子どもは「ふーん」と言う。続けて、「それならミルクをあげたらいいね」
彼らの中に、使い古しの常識なんてものは存在しない。「おっぱいじゃなきゃダメじゃないの?」「ミルクでもいいの?」そんなことは言わない。ただ「ふーん」「そうなんだ」ってだけ。
親であるわたしにできるのは、せいぜいそのくらいだと思っている。偏った考えをなるべく持たせないように、それで知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまわないように、「そういうこともあるよ」を教える役割。
やわらかく、しなやかな人に、育ってくれるといいなと願いながら。