アラフォー、ピアスを開ける
実に20年ぶりくらいの時を経て、両耳に再びピアスを開けた。
はじめて開けた(厳密には、初回がうまく開かなかったので2度目だけれど)ピアスホールは、出産後のバタバタで気づいたら塞がってしまっていた。
それ以来、私の耳たぶはずっと寂しいままだったのだけれど、39歳の初冬というか晩秋というか、ふと思い立ってまたピアスホールを開けました。
20年前、北海道の網走で開けた時は町の皮膚科で開けて3000円くらいだった気がするんだけど、今回は美容皮膚科とかも入っているクリニックで開けたので20000円もかかってしまった。
もうこれは、今年のクリスマスプレゼントってことにします。
昔ピアスを開けた時、何に苦労したって、ピアス穴が化膿してなかなか定着しないことでした。
それで1度目はダメになり、2度目は病院で開けたからすんなりいくかと思えばそうでもなく。だから今回も、またああいう思いをしなきゃいけないのかなーと思うとどうしても憂鬱でね……。
またかわいいピアスをつけたい気持ちと、この年になってわざわざ痛い思いをしてしかも安くない金額を払って身体に穴を開ける意味あるか?? という気持ちが交互に押し寄せて、「いや、やっぱり開けなくていいんじゃね?」と思いかけたんですよ。
なのになんで開けたのかってさ。そういう「わざわざ」を進んでやってやりたかったから。
わたしは自分の年齢にわりと無自覚な人間だけれど、それでも年々、「もうこういうトシですし」という思考がまとわりついてくる。年齢を重ねること自体は悪いことでも恥ずべきことでもないけれど、それを理由にどんどん守りに入っている気がしてならないのだ。ここ最近。
いや、守りといえばまだ聞こえはいいけれど、なんだろうな、あきらめ? そう、あきらめだ。それも、あまり良くない意味でのあきらめ。
「このトシになってまで、わざわざ進んで苦労することないでしょ」
「こんなトシになって、綺麗になりたいとか思うのって、どうなの」
こういうマインドが年々強くなっている感覚がある。わたしのなかで、確実に。
もちろん10代20代の頃とは身体も心も環境も違うのだから、同じように頑張る必要はまったくないと思っているけれど。でもでもでも、なのだ。
だからわたしはそんな自分に活を入れるため、あえて20年ぶりに大枚はたいて(大げさ)ピアスを開けることにしました。
ハタチの頃は、とにかくおしゃれがしたくて、かわいいピアスで自分を彩りたくて、痛みや手間なんて二の次で勢いでやっちまったじゃない、と。
開けてみてほんとハッピー。思い切ってやってよかった。もしかしたらまた化膿して病院通いするハメになるかもだけど、はやくホールが定着してかわいいピアスつけたいなーってるんるんしてます。
新しい仕事に挑戦するのも、ピアスを開けるのも、おんなじ。えいやっと勢いよく飛び込む気合いが必要なので、トシをとってもそれは忘れずにいたいなと、若干じんじんする耳たぶをさすりながら思うのでした。