「ママ閉店」におもう、感じ方の違いについて

驚いた。ほんとうに驚いた。
まさか、「ママ閉店しまーす」があれほど議論になろうとは。

「ママ閉店が炎上している」という話を聞いて、真っ先に思ったのは「そんなバカな」。あれのどこに燃える要素があったのか。炎上する前にわたしも元ツイートを読んだけれど、そんな予感は微塵もしなかったのだ。

いったいなぜ、と、元ツイを再び読みに行き、リプ欄を見てみると、たしかに「いいね!」という賛成意見の中に、批判的な声がいくつも見られた。

母親が急に閉店したら子どもはたいそう戸惑う、そんな考えで育児がつとまると思ってるのか、子どもに『閉店』はないのに自分勝手すぎる、それはネグレクトだ……など。いったい、「ママ閉店」からどうしてそうなるの?と、すっかり混乱してしまった。

わたし自身、今までに何度か「ママ閉店しまーす」と言ったことがある。言わなくても、実質閉店していることも多々。閉店を宣言したあとは、リビングでゆっくり本を読んだり、ゲームをしたりして過ごす。

わたしの場合、それは大体子どもの就寝時間を過ぎると起こる。一応21時には「おやすみ」をして、子ども達は寝室へ行かねばならない決まりになっているからだ。(実際は、そううまくいかない日もよくある)

閉店したら、どうなるのか。と聞かれれば、実際のところは普段とそんなに変わらない。わたしは子どもの前でも普通にスマホを触るし、本だって読む。可能なら、ゲームもする。ただ宣言することで、「ゆっくり休ませてねー」と暗に伝えている…という感じだろうか。

そうはいっても、何やかんやはあるものだ。のどが渇いたと言われたらコップにお茶をついでやり、寂しいからトイレまでついてきてと言われたらしぶしぶ行って廊下で待つ。ただ、シンクにたまった洗い物は明日に回しますね、閉店したんで。という感じ。

それの何が悪いのか!と、けっこう腹が立った。が、どうやら批判的なコメントをつけている人たちが感じているのは、それとは違うようなのだ。(中には、それすら許せない人もいるのかもしれないけれど)

わたしにとって閉店とは、「ママ業」「主婦業」を今日はもうやりません。という話だ。業務はおしまいだけれど、わたしという人間はここにいる。同じ場所に子どももいる。その存在自体までシャットアウトするわけじゃない。

一方怒っている人にとって、閉店とは「子どもの存在を心からしめだすこと」なんじゃないかなと。そしてその人自身が子どもの頃、親からそういう扱いを受けていたことも、怒りを誘発した要因の一つだったようだ。

目にしたのは同じ言葉なのに、感じ方がここまで違うのかと、また驚いた。同時に、自分が思っているよりいろいろな感じ方をする人がいるんだな、だからこそ公開する発言には、細心の注意を払わなければならないな、と。注意しただけではどうしようもない部分もあるって、もちろんわかっているけれど。

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