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メガネとコンタクトと歳をとること
とくに女性にとって、「歳をとる」のはだいたい嫌なものだろうと思う。ふとのぞき込んだ鏡にうつる顔から、ハリとかツヤとかそういったものが消え失せているのに気づいて愕然としたり。まあいろいろと。
もちろんわたしも例外ではないのだけれど、同時に、歳をとって生きやすくなったなぁと感じるシーンも、実はあったりする。
たとえば、メガネとコンタクトの話だ。わたしは小学校の低学年の頃からひどい近眼で、それからずっとメガネを手放せない。視力はどんどん落ちていったので、それに伴ってレンズも厚くなる。薄型加工はしてもらうけれど、それでも限界がある。なるべくメガネの存在感を消してくれるような、華奢なフレームは選べなかった。
今でこそメガネはおしゃれアイテムの一つみたいな扱いを受けているけれど、当時メガネといえば「ダサさ」の象徴みたいな存在だった。「女の子はメガネをかけると魅力が3割減だよね」などとからかわれたことは数知れず。「チビでメガネ」などとくだらない悪口を投げかけられたりもした。ちなみにこれは蛇足だけれど、チビもメガネも単なる事実なのに、やっぱり悪口なんだよね。うん。
とにかく、わたしはメガネが大っ嫌いだった。
周りの子がちらほらコンタクトにし始めてからも、わたしはなかなかメガネ地獄から抜け出せずにいた。親が厳しく、「みんなコンタクトにしてる」「メガネは恥ずかしい」といくら訴えても、首を縦に振ってくれなかったためだ。
晴れてコンタクトになれてから、わたしはメガネで外出することはほとんどなくなった。朝起きてものもらいができていても、絶対にコンタクトをはめて家を出た。
どーーーしてもメガネで出なければいけない日は、ひたすら気持ちが落ち込んだ。まわりの人がみんなわたしを見て「メガネのブスがいる」と、心の中でくすくす笑っている……そんなバカみたいな被害妄想に、本気で取り憑かれていた。
時は流れ、メガネがおしゃれアイテムとして社会に認知されるようになった。男性だけでなく女の子でさえ、わざわざ伊達メガネをかける。正直、わたしには意味がわからない。が、これも時代の流れだし、何より目が悪くてメガネをかける子にとって、メガネがコンプレックスになりにくくなるだろう。とてもよいことだと思う。
わたしはといえば、最近は平気でメガネで外出するようになった。ちゃんとしたお出かけのときはコンタクトに着替えるけれど、そこらへんにぷらっと出るのに、いちいちコンタクトをつけたりはしない。
それはメガネの社会的地位が向上したから。ではなく、単純に歳をとって、よい意味で図太くなったのだろうと思う。「誰もわたしのことなんか気にしてない」「あんなテキトーな格好で出歩いて…って思われたってべつに気にならない」そんなふうに思えるようになった。(一応、自分の名誉のために補足すると、テキトーな格好というのはラフな格好ということで、だらしないとかではない、はず…)
何においても、若い頃は自意識過剰だった。それに加えて自己肯定感が低いから、余計にこじらせて面倒なヤツだった。歳をとってそれが若干薄らいで、なんだかラクになったなぁと感じる。
歳をとるって、嫌なことばっかじゃないんだねえ。