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あの記憶を呼び起こす、香り

道を歩いていると時々、すれ違った人の香水の香りがふんわりと漂ってくる。

良い香りなら「わあ、いい香り」「どこの香水かな?」と心が浮き立つし、強すぎる香りなら「うぇ……」と眉間にシワが寄る。誰しも、経験があるだろう。

けれど先日嗅いだ香りは、なんとも言えないものだった。良い香りではあるけれど、眉間にシワが寄る。……ちょっと何を言ってるのかわからないかもしれないが、そんな香りなのだ。



プルースト効果という言葉を聞いたことがあるだろうか。嗅覚などの感覚から過去の記憶が強烈に蘇る、アレだ。あの心理現象には、そういう名前がついているらしい。

プルースト効果。そのワード自体を知らずとも、身に覚えのある人は多いだろう。ある特定の香りを嗅ぐと、その瞬間に記憶の奥の方にあった引き出しを無理矢理にこじ開けられるような、あの感覚。懐かしさに涙が浮かぶこともあれば、その瞬間に引き出しを思いきり閉めてやりたい思いに駆られることもあるはずだ。

あれをつい先日、久々に味わった。

その香りは、過去にわたしがつき合っていた男が好んでつけていた香水のものだった。彼は恋人でありながら、気に入らないといってはわたしを殴ったり、蹴ったりする人だった。だから不意に彼との思い出が蘇ると、それには常にどす黒い色のフィルターがかかっていて、わたしの心を闇で覆い尽くすのだ。

けれどあの香水の香りは、彼が、まだ暴力を振るう前によく纏っていたものだ。それはまるで、恐怖一色で塗りつぶされた記憶の中にあるほんの一片、鮮やかさを残したひとかけら。全てがどす黒く見えているはずなのに、その色の下にカラフルがあることを意図せず想起させるような。そんな、困惑と不愉快を連れてくるスイッチ。それがあの香水だ。

あの香りを嗅ぐと、わたしの意識はたちまちあの頃に吹き飛ばされてしまう。その度に、

記憶は薄れたり消えたりするものではなく、ただ時間の経過とともに、引き出しの奥深くにしまいこまれてしまうだけ。

いつか聞いたそんな話を、いつも思い出す。



道の真ん中で、わたしは思わず振り返った。あの香水の香りを嗅いだから。

もちろんそこにいるのは、見知らぬ誰かだ。あの男は、もうとっくに香水を使うのはやめただろう。そもそもわたしとつき合っていた頃だって、香水をつけていたのはほんの僅かな期間だった。わかってはいるんだ、頭では。

こちらの都合もお構いなしにふわりとやってきては、記憶の引き出しをこじ開けて消えていく。香水の香りというのは、実に厄介なものだ。


今回のお題「道」と「香水」

※画像:旅と暮らしのおしゃれな無料写真サイト

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