女として、人として
人としての自信は、どこで落としてきたのか、うまく育たなかった。
「人に迷惑をかけないように」「自分のことは自分でやりなさい」という親からの躾のためか、多感な時期にできた初めての彼氏らしい彼氏にこてんぱんに人格攻撃を受けたためか、それはわからない。単に、持って生まれた性質というだけなのかもしれない。
そんな中で、いびつに育ったのが女としての自信だ。
きっかけは、人生には3度あると言われる「モテ期」の到来。それまで女としての魅力なんてこれっぽっちもないと思っていたのに、急に訪れたそれは「ああ、もしかして、わたしには女としての需要があるのだろうか」と思わせてくれた。
それは嬉しいことだった。人としての飛び抜けた何かを持たない自分にも、存在価値がある、誰かに必要とされるのだと信じることができたのだから。
じゃあ女として、幸せだったのかと聞かれれば、たぶん違うのだろう。
たしかに、好意を持ってくれる男性はときどきいた。好きになった人にはアタックしたし、だいたいそれは成就した。でも今思えば、彼らはわたしの何を見て好きだと言ってくれていたのだろう。
人としての自分に自信が持てず、ひたすら「かわいい女の子」であろうとした結果、彼らはわたしのうわべしか見ていないのだ、と思えてならなかった。わたしからかわいらしさが抜け落ちたら、その途端に彼らにとって、わたしの価値などなくなるんだろう、と、本気で信じていた。
それでも、わたしは「かわいい女の子」の仮面を脱ぎ捨てることはできなかった。それが、唯一のわたしの価値であり、武器だったから。
あれから少し、歳をとって。もうとっくに「かわいい女の子」ではいられなくなって。思うことは、ああ、なんてからっぽなんだろう、ということだ。
わたしはもう、女の子ではない。ちょっと、いやかなり遅くなってしまったけれど、これからは性別とか見た目とか関係なく、人としての魅力みたいなものを磨いていきたい。
人としてのわたしと正面から向き合ってくれる人と出会っていきたいな、と思うのです。