いのちは有限だ。
歳をとったのだな、と感じるタイミングの一つに、「知っている人が次々に亡くなるとき」というのがある。
幸いというかなんというか、近い身内には最近不幸がないので、このように感じるのはもっぱらテレビの中の人についてだ。
「つい最近まで、元気にしていたはずだったのに」
そんな人が、いつの間にか歳をとったり、病気にかかったりして亡くなっていく。するとテレビのニュースでは、「もったいない人をなくした」「もっと話したいことがたくさんあった」「あんなに優しい人はいなかった」次々に、故人を悼むコメントが流れる。
けれどそんな人たちだって、一時は問題を起こして激しくバッシングを受けたり、いろんな人から嫌われたりしていたんだ。心の中では「ふっちゃけ、あの人は苦手だった」「嫌なヤツだったよな」そう思う人だっているだろう。
けれど、死んでしまえばそれらはすべて「思い出」となる。嫌なヤツだったあの人も、いいヤツだったあの人も、だいたい等しく別れを惜しまれる。
人はいつか死ぬ。そんな当たり前のことから、ときどき目を背けていないだろうか。
この悩みも、痛みも、今の自分にとっては大きな大きな荷物だけれど、死んでしまえばすべて霧散するものに過ぎない。
そして、誰がいつ死ぬのかなんて、誰にもわかりっこないんだ。
わたしは今ものすごく元気だけれど、明日死ぬ可能性だってゼロじゃない。
なら、できる限りやりたいように生きたもん勝ちじゃないか。ちょっとくらい周りに迷惑をかけたって、それでわたしの死を悲しむ人がいなくなることはたぶんないだろう。
世間体とか、人の評価とか、そんなものより、もっと大事なものはいっぱいある。いのちは有限。だからわたしは死ぬまで精いっぱい、生きたいように生きたいと思うよ。