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きらきら、クリスマス
クリスマス。街中がきらきらと煌めいて、すれ違う恋人たちは浮き足立つ。「うきうき」という言葉がぴったりの、この季節が大好きだった。
べつに今だって、嫌いになったわけじゃない。今でも好きだよ。ただ、わたしはクリスマスのきらきらを腕いっぱいに抱きしめるほど、もう若くなくなってしまったというだけだ。
加えてここ数年は、もっぱら子ども達のためのイベントである。ママはサンタさんとなって彼らのニーズを汲み取り、夜な夜なクリスマスツリーの前にプレゼントをセットする。朝起きて「サンタさんが来た!」と満面の笑顔で包みを抱きしめる彼らに、「サンタさん、来てくれて良かったねぇ」と微笑むのだ。
どこにでもある、ありふれたクリスマスの風景だ。ありふれているけれど、誰かはこれを「幸せ」と呼ぶのかもしれない。
これはこれでいい。でもやっぱりわたしにとって、恋人と過ごすクリスマスは特別なイベントだ。
なぜこんなに恋人とのきらきらなクリスマスにこだわるのか。それは、あんなにも焦がれ望んだのに、結局一度も叶わなかったからなのだろう。
もともとわたしは「プロポーズは絶対に、夜景の見える素敵な場所で」と言い続けてきたような、手垢がつきまくったベタベタなシチュエーションが好きな女だ。当然、クリスマスへの期待感は大きかった。
そんなわたしにとって、もっとも印象深い「恋人と過ごすクリスマス」は、18歳のとき。
できたばかりのおしゃれなカフェでケーキを食べて、お揃いの指輪をプレゼントし合って、美味しいご飯を食べる。何日も、何週間も前から、そんなプランを組んでいた…はずだった。
結果は言うまでもない、散々なものだった。
いつものようにくだらないことに激怒した彼氏はわたしを放置して消え、半日ほど経ってからようやく合流できても、まだ怒りはおさまっていなかった。彼はわたしを傷つけるためだけに、用意していたプレゼントをグチャグチャに踏みつけて破壊し、わたしはただただ泣いた。
それでも、怒りを鎮めなければいけなかった。涙を拭ってくれる優しい恋人などいない。わたしは心を無にして女を振りかざす。そうする以外、その場をしのぐやり方を知らなかったから。
ケーキはなし。プレゼントはぐちゃぐちゃ。暗くて小さな流行らないホテルの部屋の中で、寝ただけ。
わたしのクリスマスなんて、そんなもんだ。だからこそ、いまだきらきらなクリスマスへの憧れがずっと消えずにくすぶっている。
もうこの先、上書きされることもないだろうし…ちょっと残念だけど、まぁ、仕方ないね。