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もう決して戻らない時間
「大変なのは今だけ。子どもなんて、すーぐ大きくなっちゃうんだから」
そんな話を幾度となく聞き続け、気づけば上の子はもうすぐ8歳になる。残念ながら、いまだに大変なのは終わらない。まぁ、大体のことは一人でできるようになったので、赤ちゃんの頃の「大変だ」とはまた違った意味合いなのだけど。
ビデオカメラの充電がてら、過去の録画を見返してみた。今では毎日走って家に帰ってきて、たまに転んで膝小僧にすり傷を作ってくるような息子にも、ころんと座布団の転がされて、ただただアーとかウーとか言ってるだけの時代があったのだ。視界からわたしが消えるだけで泣き、戻ってくれば途端にニコニコ笑顔を見せる。そんなかわいさの塊みたいな時代が。
そんなに前のことじゃないようにも、ものすごく昔のことのようにも思える。その頃を懐かしんで「こんなことがあったんだよ」と話しても、当然ながら当の本人は覚えていないわけで。「そうなの?変なの」と、ちょっと恥ずかしそうな様子を見せるだけだ。
思い返せば、あの頃はそれなりに苦しい日々を送っていたはずだ。今よりもずっと帰りが遅かった夫と、外に出てママ友も語らうなんて習慣を持たなかったわたし。絵に描いたような孤育て、ワンオペの中で、毎日泣いたり怒鳴ったりしていたはずなんだ。
それなのに、だ。今はもううっすらとしか思い出せない。それより「かわいかったなぁ」「あの頃の子どもには、もう会えないんだな」という思いばかりが押し寄せてきて、ゆるくなった涙腺を刺激する。
時間は決して戻らない。泣きながら子どもを怒鳴った瞬間、「遊んで」とまとわりつかれるのにうんざりしていた瞬間、子どもと一緒に過ごすのがつらいとしか思えなかった日々。今ならもう少し、違った対応ができるような気がするのに、それは当然叶わない。
でもきっとこの気持ちは、今から1年後も5年後も10年後も感じるのだろう。その頃になれば、もはや子どものためにわたしがしてあげられることなんて、ほんのちょっぴりになっている。
たぶん「もっとこうしてあげていたら」という思いを、後悔を、100%なくすことはできないだろう。それならせめて、今できるベストを尽くそう。完璧にはできないけれど、そういう意識だけは持っていたい。
わたしもまもなく、ママになって8歳です。