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知らないことが増えていく
子どもたちは、確かにいっとき、わたしの体の中に存在したいのちだった。
「はじめまして」を一心同体の状態からスタートし、やっと別々の体に分かれたと思えば、24時間体制でべったり過ごす。自分の子どもだから、ほぼ24時間一緒にいるのだから、子どものことで知らないこと・わからないことなんてない!と言い切るつもりはないけれど、まあ大体のことは把握していただろう、と思う。
そんな子どもたちも成長するにつれて、どんどん外へ出ていく。母親と一心同体から始まり、同じ屋根の下で朝から晩まで一緒に過ごす時間を経て、幼稚園や保育園、そして学校と、親の知らない「子どもだけの社会」で生活を送るようになる。
小さいうちは、それもただただ良かった。ワガママばかりの娘が、保育園では意外とおりこうさんなんだと聞けば、誇らしい気持ちになる。いまだに甘えん坊がまったく抜けない息子が、授業参観で母の顔を見ないようにしている素振りは、年頃の男の子らしく微笑ましい。
けれど、もっと大きくなると不安も生まれる。いろんな悩みが出てくるだろう、いじめの話だってよく聞く。悩んだとき、つらいとき、苦しいとき。自分にとって「親」は相談相手だっただろうか……と考えれば、答えはNOだ。
年頃のわたしは、親に対してあまり心をさらけ出したくないと思っていた。もちろん、幼い頃から家庭環境が微妙だったせいもあるにはある、だろうけれど。けれど、どんな子どもだって似たようなものだろう。いくつになっても、小さな子どもの頃のように、親にすべてを丸出しにはできない。「なんでも話してね」と言われて、単純にうなずけるほど、子どもは単純ではないんだもの。
わたしが知らないところで、子どもがとんでもない悩みを抱えて、それを誰にも話せずに苦しんでいるとしたら。そういう意味で知らないことが増えるのは、とても怖いと思う。
子どもの頃のわたしは、親に迷惑をかけたくない、親に怒られたくない、そういう思いが強かった。自分の気持ちを伝えることが、親を困らせたり怒らせたりするような気がしていたから、いつも言葉を飲み込んだ。
でも、それじゃ悲しすぎるよね。言いたくないことは言わなくたっていいけれど、せめて自分の中に溜め込んでおくのがつらいようなことくらいは、分けてほしい。分けてもらえるような親でありたいと思うのだけど、どうやったらそんな親になれるのか、わからない。
せめてできることといえば、きみたちがそんなふうに苦しむのは、「ママがつらいんだよ」と伝えることくらいだろうか。
子育ては難しい。いくつになっても、手探り状態で進むしかないのだな。