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簡単じゃない

新学期が近づく(うちの子の学校では、もう始まっているけども)時期になると、最近決まって見かけるのが「無理に行かなくてもいいんだよ」という言葉。学校へ行きたくない、行くのがつらい子どもは一定数いて、その子たちに向けられた言葉だ。

わたし自身は陰湿ないじめにあったことはないのだけれど、どちらかと言えばいじられやすく、そんで言い返したりできないタイプだったから、10代の頃は悩みも多かった。学校に行くのがつらいと思ったこともある。いのちを絶ってしまえば、こんな悩みともサヨナラできるのかなぁとぼんやり考えたこともある。

だから、少しは子どもたちの気持ちもわかるつもりではいる。

いま親の目線に立ってみて思うのは、「行かなくてもいいんだよ」といっとき言うのは簡単。でもその先は簡単じゃない、ということだ。

もちろん、子どもの気持ちが最優先だ。いじめを受けているとか、つらい思いを抱えてまで学校へ行くべきだとは思わないし、そんなことを言ったりもしない。

それは大前提としてあって、だ。子どもが一度学校へ行かなくなって、その先もずっと行けなくなって……と想像すると、それは正直怖くもある。

「学校が社会のすべてではない」それは真実だ。学校へ行かなくたって自分で勉強して、起業して社長になった人もいる。すごく努力したのだろうし、すばらしいことだ。けれども、みんながみんな、そうではない。自ら会社をおこして事業を軌道に乗せられる人ばかりではない。そうじゃない人はそれなりの会社に入って、ある程度会社に守られながら、会社の中で成長しながら生きていく。現実は、そういう人が多いだろう。

「学校にちゃんと行って、ちゃんと卒業する」は、その道を歩むための王道ルート。「いまどきそんなの時代遅れ」という意見もあるかもしれないけれど、ドロップアウトした人が生きにくい時代はまだしばらく続くだろう。

わたしは学校を中退したことで、王道ルートから外れてしまった。(実際には、中退だけが理由ではないんだけど)そのせいでだいぶ苦労もしたし、いまだにコンプレックスもある。だから子どもたちには、同じような思いはしてほしくない。特別金持ちじゃなくてもいい、有名人になんてならなくていい、ただ幸せでいてくれればいい。というのが、親としての願いではある。まあ結局は、「本人がどうしたいか」だから、押し付けたりはしないけど。

「学校に行かなくたっていいよ。明日も、あさっても、その先もずっと、つらいならずっと行かなくたっていいよ」そう言い続けるのは、簡単じゃない。そう言い続けてあげるのが本当に子どものためになるのか、それもケースバイケースだろうし、今わたしにはわからない。

もし子どもが本気で「行きたくない」と言い出したら、うーん……どうするだろう。でも、本気でつらそうなら「行かなくていいよ」と言うかもしれないな。会社なら辞める自由があるけれど、子どもにとって学校って絶対の場所だから、気軽に辞めるわけにはいかない。だからこそ、しんどいもんね。

子どもがどんな選択をしたとしても、ずっと味方でいたいと思う。それ以外に何ができるのか、今はまだわからないけど。

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