妻だけど、母だけど、恋をしました。(その2)
彼への想いが、日に日に募るのがわかった。ママ友になんて絶対に話せないけれど、もし打ち明けたら笑うだろうか。それとも呆れる?
鏡に映る自分の姿を見ると、ため息しか出てこない。くたびれたTシャツに、洗いすぎてすっかり色落ちしているジーンズ。
それが「恋」だって?笑い話にもなりゃしない。
それでも、それでも。
画面越しに彼と話す時間だけが、わたしがわたしでいられる唯一の時間だった。
パソコンに向かう時間が増えても、夫は何も言わなかった。
すでにだいぶ前から、子ども達のいないリビングで交わされる会話は最小限で、お互いが何をしているかなんて興味もない。
それを寂しいと言う人もいるけれど、長年連れ添った夫婦なんてどこも大抵そんなものじゃないの、と思う。
だから寂しいなんて思わない。夫は家族であり、子ども達の父親であり、必要な人だ。それ以上でも、それ以下でもない。
それでいい、と思ってた。
***
「お互いを大切にして、支え合える関係が理想だと思うよ」
彼と恋愛について話をした、ある夜のこと。
「ケンカをしても、言いたいことは言い合った方がいいと思う。相手の考えていることを知りたいし、俺の考えも知ってほしい。そうやって良い関係を二人で作っていきたいから」
ぎゅうっと、胸が締めつけられるようだった。
そうだ。わたしもかつて、そう考えていた。
世界中にたった一人、お互いを理解し合って、支え合っていける存在。それが夫になる人だと、信じていた。
リビングに目を移すと、ソファで夫がいびきをかいて寝ている。
テーブルにはビールの空き缶が転がっていて、つまみにしていたらしいナッツ類が汚く散らばっている。
無意識に、眉間にシワが寄る。
仕事で疲れているのだろう。いつもなら毛布をかけてやるけれど、今夜だけはどうしてもそんな気になれなかった。
(どうして彼のように、もっと向き合ってくれる人と結婚しなかったんだろう)
今さらすぎる後悔の念。
遅れて「もし、彼と結婚していたら……」という気持ちが急激に膨れ上がる。
――会いたい。
彼に、会いたい。
妻の自分、母の自分が警鐘を鳴らす。それでも、女の自分が止められない。
彼に会いたい。そして赦されるなら、たった一晩だけでも女に戻りたい。
そう、願ってしまった。
「来月、そちらに行く予定があるんだけど。もし都合が合えば、会えませんか?」
気づけば、そうキーボードを叩いていた。
予定なんかない。嘘だ。「ついで」を装わなければ、とても誘えなかった。
彼は少し考えて、
「俺も会ってみたいと思ってた」
そう言った。
彼が「おやすみ」とログアウトした後、急いで夜行バスのチケットを取った。
友人との旅行だと言えば、夫はなにも言わないだろう。まさか自分の妻が男に会いに行くなんて、夢にも思わないはずだ。
罪悪感がないと言えば、嘘になる。
リビングでいびきをかいて寝ている夫に毛布をかけてやった。寒かったのか、縮こまっていた体の緊張が解けたのがわかる。
いつの間にかすっかり老けてしまったけれど、それはたしかにかつて愛した男の寝顔。
(昔は、この寝顔すらも愛おしいと思ってたのにね…)
リビング脇の和室では、子ども達が寝息を立てている。
いつからだろう、「お母さんと寝る!」と言わなくなったのは。楽になったと同時に、ものすごい寂しさが襲ってきたものだった。
「ごめんね」
男に会いに行く。それは家族を裏切る行為だと理解している。
それでも会いたいという気持ちが、彼が好きだという気持ちが、溢れてどうしても止められない。
妻だけど、母だけど。
もうどうしようもないくらいに、恋に落ちてしまった。
※その3に続くかもしれない……→続きました。その3はコチラ
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