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青汁を飲んだわたしと、飲まぬ子ども
数日前から、青汁を飲み始めた。これで日頃の野菜不足が解消できれば安いものだけれど、正直どれほど効果があるのかはわからない。もしかしたら気休め程度なのかもしれないが、飲まないよりはマシだろう、と思うことにしている。
さて今のところ、家族でこの青汁を飲んでいるのはわたしだけだ。夫は、届いた初日に一包飲んでしかめ面をして以降、口にしようとしない。食わず嫌いの権化みたいな下の子が飲むことははなから期待していないが、わりと何でもトライしたがる上の子ですら、ひと口飲んで「もういいや」と拒否権を発動させる始末だ。
Amazonで「今一番人気ですよ」とおすすめされたものだったし、実際、そこまでまずくなくて飲みやすいのに。なんでかなあ。
「飲みやすい」と言いきるのには、わたしなりの理由がある。わたしは子どもの頃、かなり長い期間青汁を飲んでいた。あの頃の青汁はまだ今ほどポピュラーな商品ではなく、飲みやすさも考慮されていなかった。ので、本当の本当にまずかったのだ。
あれと比べると、今飲んでいる青汁は実に飲みやすい。それなのに、なんで? というのが、わたしの意見なのだ。が、あいにくまったく伝わらない。
子どもだったわたしにとって、食事の度にあのまずい青汁を飲むのは苦行でしかなかった。端的に言えば、嫌だった。なのになぜ飲み続けたのかって、そりゃあ、そうしなければ親に怒られるからだ。「飲みなさい」と言われたら、飲み続けることしかできなかったからだ。
それだけ、わたしにとって親は逆らえない存在だった。だからこそわたしは、物分かり良く従ってきたのだ。
しかし、我が子はどうだ。「飲んでね」と言ったって、そもそも飲もうとすらしない。飲んで嫌なら「嫌」と言い、それっきり口をつけようとしない。わたしが子どもの頃とは、大違いじゃないか。
もっとも、その理由はわかりきっている。子どもたちにとって、わたしが怖い親でないからだ。自由に意見を言ったって、ママは頭ごなしに怒ったりしないし、多少ブーブー言ったところで大したことない。そう思っている。これは本人たちから何度も言われたことでもあるから、間違いない。
親(わたし)を怖いと思っていないから、子どもはわたしのいうことに無条件に従おうとしないのだ。
夫はそれを見て「舐められてる」と笑う。けどわたしはそうは思わないし、なんなら別に、それでもいいのかもしれないと感じている節さえある。
子どもにとって親が恐怖の対象であってどうする、というのがわたしの考えだ。舐められるのを良しとするわけではないけれど、恐怖より安心を与えたいし、そうあるべきじゃないの? と。
もしこの先何か困ったことがあったとき、少しでも「親に相談しよう」という考えがよぎってくれたらいい。「絶対に親にはバレたくない」とは思って欲しくない。それには、親は恐怖ではなく安心の対象でなくてはならない。基地であり、ホームでなければならない。そう思って、わたしは子どもたちに接している。
青汁を飲みたくない、とすら親に言えなかったわたしは、物分かりの良い子を演じる代わりに、胸の中にずるさや卑屈さを飼うようになった。そしてそんな自分が、ずっと嫌だった。
子どもたちに青汁を飲ませるのには失敗したけれど、彼らが親であるわたしに対して、嫌なものははっきり嫌と言えたことは良かったと思っている。
とりあえず野菜不足解消については、また他の手段を考えるとするか。