私が武蔵小杉に通う理由
私は川崎市に住んだことがない。
川崎市内に通学したこともなければ通勤したこともない。
それでも川崎フロンターレを応援する理由は。
川崎フロンターレを応援し始めて17シーズン目が開幕した。
初めて『川崎フロンターレの試合を観に行く』という目的で等々力に向かったのは2005年。
川崎フロンターレが2度目のJ1昇格を果たした年だ。
当時の川崎フロンターレには、失礼ながらサッカーを熱心に観ている人以外にまで顔と名前が知られているような選手はいなかった。
贔屓のチームや選手がいなかった私が川崎フロンターレの選手の大半がわかったのは、スポーツ好きの父と一緒に小学生の頃からサッカー観戦を趣味としていたからだ。
そんな私が川崎フロンターレの試合をなぜ観に行こうと思ったのか。
それは日常では味わえないほどのワクワクがそこにはあるから。
泥臭いけど期待が高まるようなサッカー。
強い(と認識されている)チームが相手でもガンガン攻めるし点も取る。
中村憲剛とジュニーニョという頭ひとつ抜けて技術が高い選手もいるし、谷口博之という若手も良い。
鄭大世という選手は走れば相手を弾き飛ばすし、伊藤宏樹のプレースタイルも好みだ。
このチームはこれからどんどん強くなるんじゃないか、このチームが強くなったらもっともっとJリーグが面白くなるに違いない。
そう感じて、それまでは対戦相手を観たいが故に川崎フロンターレの試合を観に行っていた私は、川崎フロンターレというチームを継続して見ていこうと決めた。
見れば見るほど面白い。
年々面白さが増していくのはなぜだろう。
点を取られてもそれ以上に取り返し、『なんじゃこの試合はー!あははー!』と観戦を終えられるなんて最高じゃないか。
もちろん悔し涙もたくさん流したけど、それ以上にたくさん笑顔にしてもらった。
『川崎フロンターレの試合を継続して見る』から『川崎フロンターレを応援する』、そして『私は川崎フロンターレサポーター』になるまでにそれほど時間は必要なかった。
かつての私のように無類のサッカー好きだが贔屓のチームがない男性と結婚し、夫婦で川崎フロンターレサポーターになった。
やがて子供を身ごもり、家族会議を何度も重ねて『もしここで川崎フロンターレが優勝したら一生後悔しながら生きて行くことになる』という一言で2009年最終節のアウェイ・柏レイソル戦の観戦を勝ち取り、大きく膨らんだお腹と幾重にも重ねた防寒具で雪だるまのようなシルエットになりながら雨の日立台で悔し涙を流した。
あの寒さと強い雨にも負けず身体が大きく丈夫な子供が生まれ、1歳でYAMASEと名前が入ったコンフィットシャツを身にまとい等々力デビュー。
その時は観戦仲間の友人たちが子供の等々力デビューをお祝いしてくれた。
時は流れ、2021シーズン。
今も変わらず武蔵小杉に通い続けている。
子供の学業を優先するために平日の試合はもっぱらDAZN観戦だけれど、休日になれば親子でユニフォームを着て等々力に向かい、アウェイの地にお邪魔することもある。
子供の等々力デビューをお祝いしてくれた仲間たちは、今も変わらず大切な友人だ。
夫や子供以上に長い年月を、共に歩んでくれている川崎フロンターレは私にとって家族の一員のようなもの。
嬉しいことがあれば一緒に喜び、悔しいことがあれば一緒に悔いる。
別れがあれば涙もするし、新たな出会いがあれば期待に胸を膨らませる。
選手たちの成長に目を細める姿は、我が子の成長を見守る親のそれに見えるだろう。
私はこれからも川崎フロンターレと共に歩んで行く。
たとえこの先、川崎フロンターレが困難に打ち当たろうとも一緒に乗り越えて行くんだ。家族なのだから。