清貧なんてくそくらえ
お金は苦労して稼いでこそ価値があるもの。
楽して稼ぐお金には値打ちがないのよ。
なんて、みんな言われたことがあるよね?
転職してからというもの、「お金のメンタルブロック」なるものに悩まされた。
なんというか、契約をいただけそうなとき、
こんなわたしがもらってもいいのかしら?
という考え方が脳みそにこびりついていて、
いや、でもよく考えてみてくださいよ、なんて言っちゃって、みずから契約を遠ざけようとしている自分がいることにに気がついたのだ。
あれ、なんでだろう、お金欲しいのに、結果が欲しいのに、と思っても、わたしなんかがお金をもらうなんて申し訳ねぇ!もらっちゃダメ!!
と心の奥底で誰かが言っている。
誰だお前。
わたしか。
ちいさいころのわたしだった。
親にはずーっと、苦労して稼いだお金にこそ価値があるんだよ、楽しちゃダメだよ、お金は苦労の証なんだから、と言われてきた。
それがまず、仕事って大変なんだなぁというイメージを植え付けた。
子どもの頃、兄に比べてなーんにも取り柄がなくて、このままじゃ親に見放されちゃう!!と思ったわたしは、「いい子」になることに決めたのだった。
取り柄がなくてもいい子なら嫌われない。
人よりできないことがあってもいい子なら見捨てられない。
そのままのわたしじゃダメだから、いい子でいなくちゃ、誰に対してもいい子でいなくちゃ。
取り柄がないなら、とにかく努力しなくちゃ。
自分を削ってがんばってたら、報われるはずだから。
そんな思いで生きてきたから、
そのままのわたしで何かをもらうことに
ずーーーーっとバツをつけ続けてきたのだった。
そのままのわたしじゃ価値がないから…がんばらないとっ…て。
そしてそれは理学療法士をしているときにさらにこじらせてしまったと思う。
理学療法士はリハビリのお仕事で、怪我や病気で病院にかかったとき、日常生活に戻っていくための機能を取り戻すお手伝いをする仕事。
昼休憩の1時間を除いたら基本ずーっと患者さんとリハビリしてる、っていう仕事だった。
前残業当たり前、業務後の勉強会当たり前、休みの日も自腹を切って勉強会に参加して、患者さんのために自己研鑽をし続けることを求められていた。
めっちゃ面白いし、世の中に必要な仕事だし、好きなんだけれど、そこにはいつも自己犠牲があった。
給料はだいたい手取り19〜20万、年次昇給2000〜2500円。奨学金も返しつつ自分の休みの日に1回5000円とか、1万円とかの勉強会に行って患者さんのためにお金と時間を使う。
勉強すれば患者さんの状態も理解しやすくなるし、治すための治療技術も上がる。もちろん患者さんからのありがとうは何よりも変えがたいほど嬉しい。
でも、給料は変わらない。
嬉しいんだけど、自分の経済状況は一向に良くならなくて、勉強すればするほど貧しくなる。
でも自己研鑽を求められて、自分のためのお金と時間を削ると褒められる。
自分のために時間とお金を使うと、なんかちょっと罪悪感を感じてしまう日々だった。
患者さんもよくて、わたしたちもいい。という関係性がとれずに、患者の幸せをとるか、わたしの幸せをとるかの二元論でめちゃくちゃ苦しんだ。
休みの日もぼーっとしてたらダメな気がして、勉強会にお金払ってなかったらダメな気がしてそわそわしてた。
育児に忙しくて、なかなか勉強に時間を割けないママパパ理学療法士に対して冷たい職場風土はますますわたしに自己犠牲を強いた。
そんなこんなで「お金を稼ぐには苦労しないといけない」✖︎「そのままの自分じゃ価値がない」✖︎「自己犠牲こそ善である」と脳みその奥底、潜在意識にスリスリと刷り込み続けた結果、「お金のブロック」がなかなかとれない現状が生まれたのだった。
これがまぁ根強い。
おおきなかぶどころじゃない。
関取1000人くらい呼んできてもらわないと抜けそうもないほど、根も深いのだった。
このメンタルブロックを解くにはどうしたらいいのかめっちゃ考えている。
ノートにも「わたしには価値がある」って書きまくったり、なんでもないことに時間を使ってみたりいろいろしてみた。
でもまだまだ根幹にある部分は抜けてないから、ここであえて、人目のあるところで宣言させて欲しい。
清貧なんてくそくらえ。
誰かのために自分が貧しくなってどーする。
もちろんボランティアとか素晴らしいと思うし、自分が良ければ他人はどうでもいいと言っているわけではない。
自分もよくて、相手もいい。
それを怖がらないわたしになりたい。
お金を稼ぐことは、誰かからのありがとうの証。
お金をもらうのが申し訳ないってことは、自分はありがとうって言われる資格なんかないって卑下してるわけだ。
人生ずーっとこれでいくのはしんどすぎる。
だから声を大にして言う。
稼ぎたい!お金大好き!
お金を稼ぐ方法とか、投資の本が飛ぶように売れるこんにちでも、こんなふうに言葉にすることははばかられるという風潮があるように感じる。
たぶん根底にお金を稼ぐことは汚いって、まだ思ってるんだと思う。
でもわたしはもう本音を隠さない。
お金を稼ぎたいし自分を大事にしたいし家族に何かあった時は力になれるわたしでいたい。
人の役に立ちたい気持ちも嘘じゃない。
どっちもあきらめないために、わたしは清貧であることを捨てるのだ。
まずは自分が満たされてないと相手も満たせない。見返りを求めちゃうから。
わたしは自分も幸せで、周りも幸せになるための仕事をしていきたい。
ちょっとした決意表明でした。
おしまい。