どの種が育つかなんて
やってみないと分からないから
種を蒔く前から
この種を蒔こうかやめようか、
どの種を蒔こうかやめようか、
いつも毎瞬、
その時、自分が知っていることや分かっていることが
全ての答えであり、
道具であると思います。
その種を育てるか育てないか、
その種を蒔くのか蒔かないのかだけを
私たちは選ぶことが出来て
それより後のことがどうなるかは
いつも分かりません。
蒔く種を選ぶことは出来ても
育つ種を選ぶことは出来ません。
育つ種が無いことが苦しいのではなくて、
手のひらの種を蒔かないことが苦しい。
手のひらの種を自分の外側に蒔いてみると、
自分の内側にも蒔かれる種があります。
それを自分ながら相談して
育ててみるのは
思ったより大変で、
思ったより楽しくて、
種を蒔いた瞬間に、
種を蒔く前には戻れません。
種を蒔いた瞬間に、
違う流れと違う時間が生まれ、運ばれ、
その流れがまた進む方向へと
私たちを導いてくれるのだと思います。
だから、
いつもその瞬間に用意されている環境・知識・理解・体感に
全ての答えがあり、
全ての出来る限りの選択を
私たちは持つのだと思います。
そしてこの瞬間に体験出来ること、
やれること、
目の前にあることをやることだけが私たちに与えられる
唯一の体験であると思います。
どの種が育つのかなんて
それは私たちの選択ではなくて、
どの種を蒔くのかなんて
あんまり重要じゃなくて、
あの種もこの種も蒔けるこの瞬間に
あの種もこの種も蒔いてみて
自分の中に何かが育つ可能性を感じるものを
自分の中で育てることを決められるものを
自分が育ててみたいものを
また種として蒔くのだと思います。
あれもこれも育つのかどうかを決めることが出来るのが自由なのではなくて
あの種もこの種も蒔けることが自由で
自由の種を蒔いて
自由の種が育つ時、
なにかを本当に信じられるのかもしれません。
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