優しい人でありたい。
とある日。晴れた空を眺めていたら今日は電車じゃなくて自転車で現地に行こうと思い立った。
Google先生に尋ねたら道のりも平坦なほぼ真っ直ぐルート。うん、行けそうだ。
目的地まで半分も過ぎた頃、左手に大きな総合病院が目についた。少し胸がキュッとなる。ここは息子が1年半ほど前に救急車で運んでいただきお世話になった場所。
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ことの発端は食後に軽い気持ちで出た散歩だった。立ち寄った公園で平行棒ふうの手すりに両手で体を持ち上げて息子は両足をぶらぶらさせていた。
小雨も降り始めていたせいもあり勢い余って手を滑らせのでしょうね。あっと気づいた時には顔面を地面に強打してたのでした。(その後しばらくこのシーンがトラウマだった…)
雨も降ってきたし早く帰ろうよと言っていた矢先だったので、あぁ、、もっと強めに言って連れ帰っちゃえばよかった…などと後悔の嵐。しかし、そんなこと言ってても何も進まない。口の周りの怪我だけで済んだだけでも幸いだったと思う。
にしても。出血量からして、どうみても救急車を呼ぶレベル。そんな時に限ってスマホを家に置いてきてしまっていた私。
これまでも怪我で救急車にお世話になった過去がある。人どおりの少ない薄暗い公園付近。何かあったら大変だよなーなんて考えながら息子の遊ぶ姿を眺めていたわたし。まさか現実になるとは!
ひとまず5分ほどかかるミニスーパーで電話を借りることにした。息子にもそこまで頑張って歩いてもらう(よく頑張りました)。案の定、お店の方に事情を話したら快く了承いただいた。
10分ほどで到着しますとのオペーレーターの声に安堵し、スタッフの方にお礼を言って外で待つことに。バックヤードで休みますか?とも声をかけていただき、気遣いもありがたかった。
入り口の少し横あたりで遠慮がちに親子2人で座っていたけれど、今思えばかなり奇異な光景だったと思う。息子の口元に当てっぱなしのハンカチはもう血だらけ。買い物しようと店にくる客からしたら「大丈夫??」を通り越して声をかけるのも忍びない、そんな雰囲気だったと思う。
私たちだってさっきまで何事もなく極々フツーな日常を送ってたんだよ。ほんの一瞬魔が刺しただけでこんなにも事態が急変してしまうなんて。
起きたことは起きたことと頭では平静を装いながらも…どうしても現実に抗いたくなる。人間ってバカだなぁとぼんやり。それでも現実に向き合わざるを得ない自分をなだめ続けてた。しかも怪我をしてるのは息子なのだ。さぞかし痛かろう。驚いたろう。
頭の中がいろんな思いでグルグルしてパンクしそう。買い物に来る客たちの当たり前な気楽さがうらやましく映る。
そんな時だった。
店から出てきた1人のおじさんがペットボトルのお水をわたしたちに渡してくれたのだ。「飲むなり口をゆすぐなりなんでもいいから使ってください」。
涙が出そうだった。
誰かが声をかけてくれるなんて想像もしてなかったし、思考ばかりに気を取られてたから余計にこっちの世界に引き戻してもらったような気がした。「あ、ありがとうございます」
見上げたおじさんの「気をしっかりね」みたいな表情をときどき思い出す。
このおじさんが入店したのは横目で気づいてた。きっとお買い物ついでに私たちのためにペットボトルを買ってくれたのだとばかり思っていたのだが。
息子の話によると、店を出る時に特に買い物袋も下げておらず(エコバッグ制度が始まる前)2人で店前で座り込んでいる時に息子と目が合った、ということだった。
何が起きたかはわからないながらも地べたに座ってる私たちの姿から事情を察してくださっての行動だったのだと思う。
ご近所の方だとは思うのですが、どなたかも存じず。ただ何かあると、あの時のおじさんのコトがふっと記憶に思い出されるのです。溢れてくる感謝の思いとともに。
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子供の頃、電車でお年寄りに席を譲りたくてももじもじしてしまうような内気な子だった。
優しい気持ちが例えあったとしても行動に移すまでは誰にもその優しさは見えない。
でも、どんな優しさのカタチだろうがその心遣いそのものが嬉しいのだ。そして、その優しさの種がせっかくあるのなら育ててあげた方が断然いいし、ちゃんと花開かせてあげたい。
断られた時の体裁の悪さなんてちっぽけなこと。人がどう思うかよりも、自分がどうしたいの?なのだ。して差し上げたいと思ったらしていきたい。そんな人でありたいと強く思う。
と、息子の怪我を思い出すたびにおじさんの優しさや救急隊員のキビキビしたお姿もセットになって浮かんでくるのです。優しい人でありたいです。