1596年 慶長伏見地震発生:9/5のコラム
慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)は、文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)子の刻に山城国伏見(現・京都府京都市伏見区相当地域)付近で発生した大地震である。慶長伏見大地震とも呼称される。京都では伏見城天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、死者は1,000人を超える。
マグニチュード(M) 7.25-7.75程度と推定される内陸地殻内地震(直下型地震)である。地震による死者数の合計は京都や堺で1,000人以上を数えたと伝えられており、完成間近の伏見城天守もこの地震により倒壊し、城内だけで600人が圧死したと言われている。
この地震の4日前には現在の愛媛で中央構造線を震源とする慶長伊予地震が、また前日には現在の大分・別府湾口付近で別府湾-日出生断層帯の東部を震源とする慶長豊後地震(共にM7.0と推定)が発生しており、双方の地震による誘発地震の可能性が指摘されている。これらの天変地異が影響して、同年中に文禄から慶長へ改元が行われた。
この地震の一連を見ると、いつか起こるであろう大きな地震が怖くなってくる。だけど、地震への備えは、ひとつでも増やせばひとつ安全に近くなるのだから、ひとつずつ安全を増やしていきたい。
なんといっても、まずは物を減らすことなのだ。