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『転売ヤー』は経済学で正当化されるのか?~良い転売と悪い転売の見分け方~

1.はじめに

 前版の「『転売ヤー』は経済学で正当化されるのか?」では、転売の是非について、資源配分を研究する経済学の立場から検証し、「経済学では、需要と供給で価格が決まる。供給量に対し、需要が多いのだから、価格が高騰するのは当然である。転売の何が悪いのか。」と主張する高額転売の正当性について、市場原理によって容認されているわけではないことを論じ、有難いことに多くの読者からご支持をいただきました。
しかし改めて読み返すと、前版は転売による影響を詳しく描けておらず、具体的にどのような行為が社会に悪影響をもたらすのか基準を示せておりませんでした。
 そもそも「転売」とは仕入れたものを、他者へ売ることであり、それ自体が悪いわけではありません。もしそうであれば、皆さんにスーパーやコンビニなども批判されなければならないでしょう。しかし、小売りや卸業などの商業は、人々を困らせるどころか生活の助けとなっています。では、小売り・卸業などの「良い転売」と社会問題となる「悪い転売」の線引きはどこにあるのでしょうか。本稿を刷新するにあたり、この線引きについて考察したいと思います。

2.転売が批判される理由

 転売によって儲けようとする人たちを、人々は「転売ヤー」と揶揄します。彼らが批判される理由は大きく分けて次の2点に集約されるのではないでしょうか。

① 仕入れた商品に対し不当に高い利益を上乗せしている。
② 欲しい人の手に行き渡らない状況を作り出している。

 ①の「仕入れた商品に対し不当に高い利益を上乗せしている。」については、仕入れ値の5%までの上乗せなら良い、20%までならまあ許せる。50%は高すぎると、各人の感覚はあるでしょうが、どの程度の利益が適切であるかという客観的な水準はありません。
例えばマニアの間でプレミアムがついた商品であれば、定価の何倍もの価格でなければ手放したくないという人もいるでしょうし、その高価格を喜んで支払う人もいるでしょう。
 仮に価格に上限を設けた場合、売り手は望まない価格で売らざるを得ないか、そもそも売らないでしょう。結果、買い手は欲しいものを手に入れられなくなり、非効率な資源配分をもたらすことになります(上限価格の影響は家賃の例が有名です)。
 つまるところ、売り手が売値をいくらに設定するかは売り手の自由であり、例え不当であると思っても価格を下げるように強制すべきではありません。
 ところが、②の「欲しい人の手に行き渡らない状況を作り出している。」は具合が違います。売り手が商品を買い占めた場合、買い手はその商品を手に入れることができず、望まない高値で買わざるを得なくなります。転売ヤーに対して人々が怒ったのも、荒稼ぎをしているからというよりも、このように足元を見られたからという点が大きいでしょう。

3.転売行為の資源配分への影響

 鋭い読者であればお気づきでしょうが、転売行為が問題となるのは、人為的に独占状態を作り出す場合です。
 経済学で市場は「競争」と「独占」の二極に分かれます。
競争市場では、参加者の1人1人の影響力は皆無に等しいため、供給量は価格と共に需要と供給によって自然と定まります。その結果、最も多くの買い手にとって買いたい値段で買え、最も多くの売り手にとって売りたい値段で売れる、すなわち両者にとって厚生が最大化した、最も効率的な資源配分が実現します。
 ところが独占市場の場合、価格や供給量を売り手が決めることができます。つまり、あえて供給量を減らし、価格を吊り上げることができるのです。
 すなわち転売ヤ―のしていることは、買い占めによって独占状態を作り出し、広く資源が行き渡ることを妨げ、自らの利益を増やそうとしているということです。これは資源配分を妨げる「悪い転売」と言えるでしょう。

4.良い転売と悪い転売

 一方の、スーパーやコンビニといった小売などは資源配分を妨げるどころか、それを手助けしています。
 経済学の父であるアダム・スミスも独占には否定的でしたが、「自分の生活資料を、その日その日、あるいは時間ごとに、必要に応じて買えるということほど便利なことはない」と商人の役割を肯定的に捉えています。
 つまり、同じ転売行為であっても、資源配分を妨げることが目的であるか、資源配分の効率化の助けになるかによって、「悪い転売」か「良い転売」であるかを見極めることができるでしょう。
【参考文献:マンキュー入門経済学】

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