原田直子弁護士 2024年4月3日衆議院法務委員会(民法改正の参考人聴取)
原田直子参考人の意見陳述と、その後の参考人に対する質疑を書き起こしました。
原田直子弁護士の意見陳述
こんにちは。福岡県弁護士会の弁護士をしております原田直子と申します。 本日は、意見を述べる機会をいただきまして、ありがとうございます。
私は、法制審議会家族法部会の委員としてこの議論に参加してまいりました。今日は部会という形で表現させていただきますが、また、ただ今の大村参考人、委員長の発言を否定するものではありませんけれども、法文上、部会で合意した趣旨を明確にするためには、必要な修正を行うべきであるという意味で意見を述べた上で、それでも現時点で共同親権の導入は危険であるという趣旨で意見を述べさせていただきます。
まず、全体の親権という言葉ですけれども、諸外国では共同親権と言われていますが、親権ではなく親責任とか配慮義務が主流です。
今回、817条の12として親の責務が明記されたことは歓迎いたしますが、親権という言葉が残り、包括的な子に対する親の権利があるかのような誤解を生む可能性があります。
権限は義務を遂行するために必要な範囲での権限であるべきで、親権という言葉を使わなくても、例えば居所指定権とか法定代理権とかいう形で権限ごとに明確にすれば良いのではないかというふうに考えます。
次に、817条の12に関して、親の責務についてですけれども、今回の法案では、「その子の人格を尊重するとともに」となっていますが、「子の意思の尊重」という言葉にはなっていません。
部会の補足説明では、この「人格の尊重」の中に「子の意思の尊重」も含まれるというふうに説明されましたが、子どもの権利条約の表現と合わせて、
「子の意思の尊重」という言葉をきちんと入れるべきだと思います。
ちょっと言い忘れましたが、私が提出いたしました意見の趣旨の資料の1にこのように改正すべきだということをまとめておりますので、御覧になりながらお聞きいただければというふうに思います。
先頃改正されました民法821条に同様の文言、つまり「人格の尊重」という言葉が入っているのですが、 821条に人格の尊重という言葉が入ったのは、懲戒権との関係で「子に体罰を与えてはならない」ということが主な趣旨でした。意思の尊重とは趣旨が違います。
子どもは自分のことが決められるにあたって、状況の説明を受け、十分に意見を聞いてもらい、その通りにならない場合にはその理由をきちんと説明してもらうことによって納得感を得られますし、それが子の利益につながるものと考えます。「人格の尊重」という言葉ではなく、「意思または心情の尊重」とすべきだというふうに思います。
次に、同条、812条の12の2項についてですが、さらに、「父母は互いに人格を尊重し、協力しなければならない」という条文も提案されています。
この条文をフレンドリーペアラントルールを取り入れたものだと解釈される議員さんがいらっしゃいますが、それはその議員さん独自の解釈であり、法制審の部会の合意ではありません。
今回の法改正全体では、DVや虐待から子どもを守るという視点が重要であるということは部会全体の一致点で、それをどのように条文にしようかということが議論され、「お互いの人格の尊重」という言葉を入れて、一方配偶者の他方に対する攻撃が違法であるという、裁判の際の規範にもなりうるような条文の作りにしてはどうかという意見を受けて盛り込まれたものと理解しております。
そもそも、フレンドリーペアレントルールというのは、相手の親と友好的な関係を築くべきというものです。
別居、離婚の理由がDVや日々の怒鳴り散らされるような精神的ハラスメントをしているような親であっても、例えば年間100日面会交流させると主張した親に親権者を与えるといった極端な判決に見られるような考え方です。
ひどい身体的暴力を受けていた場合はもちろんですが、毎日のように怒鳴られたり監視されたり支配されたりしていたDV被害者に、子どものためとはいえ友好的な関係を築けと言えるでしょうか。
このルールは、DV加害者に親権をよこせというためのルールにほかなりませんので、解釈上のみならず法文上もこのルールを採用したものでないことを明らかにしておいていただきたいと。例えば、DV、虐待等の父母間に生じたことの主張を妨げるものではないなどの但し書を入れる等ですね。
この答弁の中で、昨日の答弁の中でも「一義的には言えない」という言葉が何度も出てきましたけれども、DV被害者に加害者と仲良くしなさいなどということがないように明確にしていただきたいというふうに思います。
次に、824条の2、親権の行使についてですが、共同か単独かはどちらが原則でもない、つまり共同が原則ではないということを条文上も明確にしていただきたいと思います。改正案の条文について、離婚後も共同親権が原則であるとされたと主張される方がおられます。
昨日の議論の中での大臣の答弁に対しても、私とは反対の立場の方のご感想ではありましたけれども、「中途半端ですよね」というような感想を述べられました。そう、中途半端なんです、この条文。
この条文は、離婚中の親権は共同とされていた条文について、婚姻中という文字を取ったものにすぎません。
にも拘わらず、提案されている条文では、但し書としてその一方のみが親権者であるときと書かれているので、単独親権が例外規定にも読めてしまい、共同親権を原則とするかのような誤解が生じています。しかし、法制審議会の部会では、共同親権を原則とすべきとの意見では一致しませんでした。共同親権が原則だという発言に対しては、「そこまで合意した覚えはない」という明確な反対意見も出されましたし、私、「共同親権、原則とするものではないですよね」という発言しまして、どなたも反対意見述べられませんでした。
ですので、誤解を引き起こさないように、あくまで単独か共同かは選択になるということを明確にするためにも、「親権は父母双方が親権者である場合は共同して行う」というふうにすべきだと思います。
次に、共同親権を選択しても一方の親が単独で親権を行使できる例外規定として、「子の利益のために急迫の事情があるとき」という文言が提案されています。これは何度も議論されているようですが、私はこれを改める必要があると思います。これでは、DV等の被害者が安全に逃げることができなくなってしまい、子どもも危険にさらされます。
急迫という文言から、皆さん、どのような印象を受けられますか。目前に迫った危険があるという場合、というのが一般的ではないでしょうか。
法制審議会では、「父母の協議や裁判所の判断を経ていては適宜の親権行使が行えず、結果としてこの利益を害する恐れがある場合」となっており、 暴力を振るわれたその時という限定的な時間だけではなく、もっと広い概念とされていました。部会の付則決議にはいろいろ書かれていますが、 現在最も論争になっているのは、離婚前に一方の親が子どもを連れて家を出る場合です。この点、部会では、DVや虐待からの避難が必要な場合には、DVや虐待があった直後でなくても、別居のための準備をした後の別居でも良い、とされています。つまり、別居するための協議、提案することすら困難なDVや虐待がある場合や、話し合いができないような緊張関係がある場合、 あるいは子どもの転校の時期などを考慮して準備の上別居する場合も「急迫」に含むとの合意があったと認識しています。
しかし、「急迫」という文言ではこのような事態を含むかどうか疑問となり、DVの場合には到底被害者や子の安全な確保はできません。
現在の実務では、一方の親権者が子を連れて別居しても、子を連れて家を出た場合と、子を残して自分だけが家を出た場合とでは、どちらが子どものためになるか、 あるいは協議の実現可能性があったかどうかという2点で判断されています。子を連れて出た方が子どもの主たる面倒を見ていた人であって、子どもを連れて出た方法が問題なければ違法とならないとされています。 子どもを連れた別居ができなくなれば、危険に晒されるのはDV等の被害者と子どもです。 急迫との言葉は狭すぎるので、その文言を変えていただきたいと思います。
さらに、そもそもDVや虐待は、身体的な暴力だけでなく、大声で怒鳴るなどの精神的DVやモラルハラスメントも含まれるというのが一般です。
精神的DVでも保護命令が出せるようにDV防止法が改正されました。 そして、保護命令は被害者が逃げるということを基本としていますので、共同親権の間、子どもを連れて逃げられないということになったら、DV法との整合性が取れなくなってしまいます。このようなDV法の仕組みと整合性を明確にしておかなければ、行政やその他の支援者が支援する場合の判断基準に大きく影響し、支援が滞る可能性があります。
特に、同居のまま裁判で協議するとした場合、最も被害を受けるのは子どもです。家庭内別居状態の子どもの生活、親の顔色を伺い、会話のない冷たい家庭内での生活であり、それがお子さんにとって良いはずありません。すいません、なんか想像してしまうと涙が出てきます。双方の親のメッセンジャーのような位置にある子どもも珍しくありません。
別居を決意される方は、親の紛争下に子どもをさらすことが良くないと考える方も多くおられます。両親間の葛藤が子の利益に反することは一致した認識だと思います。午前の面会交流支援を行っていらっしゃる方も、子どもの望みは親が喧嘩しないことだというふうにおっしゃってました。
従って、急迫ではなく、「父母の協議や裁判所の判断を経ていては適宜の親権行使が行えず、子の利益を害する恐れがある場合」というふうにすべきだと思います。
もう1つ、DVは立証が難しいという問題があります。
DVは家庭内という狭い空間で行われ、被害者も自分がDVを受けていると分からないまま体調が悪化したり病気になる人もいます。 加害者から離れて初めて異常なことだったとわかるのです。とすると、そもそも証拠を確保することが難しいです。 そんな場合にも、証拠がないからといって子どもを連れて避難できなかったり、裁判所により共同親権を強制されたりすれば、被害者はおろか、子どもも大変辛いことになります。従って、家庭家庭裁判所の充実と科学的知見を備えた専門家の配置が必要となることを付け加えさせていただきます。
そして、824条の2・2項ですけども、共同親権でも単独で行使できるとされているもう1つの場合、 「監護及び教育に関する日常の行為については親権を単独で行使することができる」という案が示されています。しかし、まず日常行為というものの範囲が明確ではありません。日常行為が何かということをめぐって争いになるでしょう。
それぞれの親がそれぞれ勝手に子どもの習い事とかの契約をすることになり、子どもはどうしたらいいんでしょうか。学校や医療機関など第三者は、父母の同意をどう得たらいいのでしょうか。
クレームを恐れてあらゆる場面で父母の同意を求めるようになれば、子どもは当たり前の教育や医療も受けられなくなりかねません。
この点を巡っては、昨日も何度もやり取りがありましたが、 国会でもはっきりしないで、そんなやり取りをいっぱいしないといけないような状況で、子に関わる第三者が慎重になり、その影響を受けるのは子どもであり、それが子どもファーストなのでしょうか。さらに、離れていても日常行為であれば単独で行為できるとすると、子や子の世話をしている監護親の知らない間に何らかの行為がなされる可能性があるとも言えます。
この点、法制審の部会では、例えば面会交流中の飲食などが例示されていました。つまり、継続的にでも一時的にでも、現に監護している親に関しては単独行使を認めるという指示でした。 誤解なきように、「現に監護している親」と入れるべきだと思います。
その他、共同親権でも、監護者を決めて、共同親権者の意見が分かれた時に、家庭裁判所に行かなくても決めることができる人を決めておく、ということも、子どもが生活上の不自由をきたさないという意味で重要ではないかと思っています。
一方の親が反対するということは、拒否権を与えるということです。そして、裁判所を経なければ何も決められなくなり、一番困るのは子どもです。
日本の裁判所は非常に、人的、物的な体制が整っておりません。付帯決議でも述べられていますが、現在でも203ある支部のうち44の支部に裁判官が常駐していません。大規模庁でも事件の審理に時間を要し、調停では裁判官が掛け持ちしているのでなかなか進行しないという実態があります。
調査官は本庁や支部でも大きなところにしかいないので、子どもの調査に関する家庭訪問などの時間には制限がありますし、子どもが家庭裁判所に呼ばれるときは学校を早退して行かなければならないという場合も多いんです。
現在でもこのような状態で、今回の改正案で新設される家裁の役割を果たせるのか、本当に疑問です。
日本で9割を占める共同親権、これに対する対策は何もありません。ここで全ての方たちが真摯の合意ができるのでしょうか。離婚しようとしている両方の父母が対等、平等に協議して共同親権を選択できるのでしょうか。
選択だからいいとは言えない実態があることも、ぜひ考えていただきたいというふうに思います。ご清聴ありがとうございました。
議員からの質問
斎藤洋明議員(自民)
午前中の質疑に起きましても、様々な参考人の先生がおられましたが、調停委員・家裁調査官、裁判所の設備など、不安を訴える声がありました。
改めて四人の先生に、いま申し上げた調停委員・家裁調査官、裁判所の設備は、この法改正後の対応として充分な体制になっていると考えるか?不十分であればどのような対策が考えられるか、お考えをお聞かせください。
原田直子参考人
先ほど述べたが、全国の各県に本庁というのがあり、支部が203あるが、そのうち44は裁判官が常駐していない。調査官はもっと少なくて本庁か大きな支部にまとめていて、小さな支部で事件があった時出張していく体制。かつ調査官も定員を満たしていない。調査官は女性が多く、時短を取っている人も多い。いまは調停は16時半に終わるよう努力してくださいと言われている状況。家裁は、裁判官の常駐や出張所で事件の受付だけ行うようなところにもっと充実してくれというと事件数が多くないんだから、事件数に合わせて配置している、と最高裁は言うだろう。
しかし、そういうところにも子どもはいる。過疎地にいる子どもは待たされるのか?あるいは大きな支部や本庁まで行くのかという問題があり、そういう経済効率だけではない体制の充実が必要。子どものためを思うなら、国家予算を割くべきではと思うが、そんなふうにしてもらえるような目途が、私達には見えていない。
家裁の充実だけでなく、調査官だけではなく、児童精神科医や外部の方に子どもがどういう気持ちでいるのか、どういうことで紛争に巻き込まれて困っているのか、カウンセリングしたらよいのか、意見を言ってもらえるような専門家を使えるようにしてほしい。今は当事者がお金を払って診断書を書いてもらわないといけない。公費でそれができるような仕組みづくりを。
斎藤洋明議員(自民)
DVが見えにくいというリスクついて、共同親権が温床になりかねないという指摘がある一方で、虚偽DVや連れ去りで既成事実を作ってしまう、父母で子を監護するはずが、単独親権の方向に持っていかれているケースがあるという指摘があります。この指摘についてどうお考えになるでしょうか。
原田直子参考人
少なくとも私は経験していない。42年弁護士をやっている。相談に来られて詳しく話を聞いていると、おかしな場合は矛盾やなんでそうなるの?ということが出てくる。そういう意味では、写真とか診断書がなくても、供述の信ぴょう性という意味で裁判所も同じ判断をするだろう。
逆に、相手方から虚偽と言われることもあるが、例えばこちらが5発殴られたというとき、全く殴っていませんという人は少ない。1発だけだ、振り返ったら当たった、などと言う。でも受けた人とって、相手方が故意かどうかという問題と、受けた人がそれによって打撃を受けたっていうのをどう評価するかという問題だと思う。私は虚偽DVだと言われて、虚偽だと裁判所に認定されたことは私はないし、本人に話を聞いて矛盾がある場合はDVを主張しない。どちらかというと、虚偽・ウソと言われる方のほうがウソをついているという印象を持っている。個人的な話でごめんなさい。
日下正喜議員(公明)
子どもの利益ということだが、幸福度、自己肯定感と、親子交流の意義について聞きたい。子にとっては、父母は直接のルールであり、アイデンティティ形成にも深くかかわっていると考える。子は、父母との交流を求めるものだと思うし、両親の愛情を感じながら成長してもらいたいと考える。DVや虐待を考えると様々な状況や意見の違いもあると思うが、適切な親子交流は、子どもの自己肯定感形成にどう影響するか、統計的な調査が必要だと感じるが、それについて意見を聞きたい。
原田直子参考人
私も子どもさんが父母に愛されていると実感できることは大事だと思う。今日の議論の中でも出てきたが、それを共同親権にしないとできないかという問題は別の問題だと考える。そういう子どもに対して父母が責任を持って関り愛情を示し子どもを大事にするのは大事だというのであれば、それができる制度をどんどん作ればよい。それがない状況で紛争が起きているというのが一番問題。
午前中の山口参考人の話でもあったが、共同親権制度を導入している諸外国でも10年かけて共同養育計画をつくったということは、共同養育を作っただけでは進まなかったということだ。制度を作っても上手くいかないからどんどん改革を重ね、その中心は支援である。
それを先にやらないで頭だけ作るのは、国が責任放棄していると思いたいくらいで、子どもさんがそれを実感できるためにどうすればいいか支援の制度を作るのが先で、そうすることによって共同でできることがすすんで子どもが幸せを感じれるようになるのではないか。
日下正喜議員(公明)
親子交流と自己肯定感の醸成、また調査についてお聞きしたが、改めてどうか。
原田直子参考人
統計をとることは必要、そうしていただきたい。
日下正喜議員(公明)
今回の法改正で大きな論点になっているのがDVや虐待への対応である。特に証拠が残さなかったグレーの対応。夫婦喧嘩をすれば時に大声を出してしまうことはあるし、長年連れ添った妻に一度だけ手をあげてしまったという話を先輩から聞いたことがある。そうしたことが継続的に行われている悪い事例もある。こうしたことは離婚時というより婚姻中から起きていることで、DVや虐待を受けたと感じた際、すぐに相談に行ける相談機関は、昔は隣近所の友人や先輩、夫婦を良く知る人に間に入ってもらって葛藤を鎮めるということもあったと思うが、これからは公的機関やNPOの相談支援対応で問題解決も増えていくと思う。
民法の枠外の支援の意義、この法律が成立した場合には、こうした支援拡充が必要と考えるが、所見を伺いたい。
原田直子参考人
先ほどのりむすびの方や、面会交流支援機関の方は費用が高い。公的支援はない。エフピックという元家裁調査官らが作ったNPOがあるが、福岡では支援がなくなった。相談はやっているが利用者が多く維持が難しいということで、面会交流支援は取りやめになった。全国的にもそういう支援団体がないところもあるし、あるとしても一回当たり1万円~負担になり、事前に葛藤を下げるために行われるカウンセリングにも費用がかかる。ひとり親では負担できない。そういう支援機関への支援、認証団体を作ろうという動きがあって支援を止めるということもあるが、無償でそれができる制度が必要。
また、今行政の現場で女性相談員や子ども家庭相談員と言われる方は非常勤や任期付きの方が多い。専門的な経験や知識の醸成が難しいし、トラブル対応が難しい。行政機関を訴える人がいるが、そういうのの当事者に任期付きの人がなってしまったら、その方たちはその後の勤務が難しくなるのではないか。相談を受ける人たちについて、安定した雇用と専門的な知識を配置できるようにしてほしいと思う。
米山隆一議員(立憲)
共同親権は原則なのか否か。法制審の委員だったので、法制審の議論と、条文からどう読み取れるのか、意見を伺いたい。
原田直子参考人
離婚後は、共同の場合も単独の場合もある、どちらも原則としないと法制審で議論してきたと思っている。なので条文上もそれがはっきりわかるようにしてほしいと先ほども述べた。
米山隆一議員(立憲)
私が経験したケースだと裁判になって共同親権は無理だろうと思うが、クライアントの層も違うだろうと考えるので、何割くらい可能と思うか?
原田直子参考人
何割と言われると難しいが、裁判になるような例では難しいと思う。協議離婚が87%程度、その他が調停・審判・裁判離婚だと思うが、裁判所に来るようなケースはやはり葛藤が高く、すぐにその場で共同は無理だろう。面会交流の場合を見ても、協議離婚の場合と裁判離婚の場合では、裁判離婚の萌芽取り決め率は高いと言われているが、継続して面会交流しているのは協議離婚のほうが高い。つまり互いに話し合って決めた場合はできるが、裁判所からやれと言われた場合は難しいということだろうと思う。
協議離婚を協議する仕事もしているが、弁護士のところに来るような場合は自分たちでなかなか決められないということなので難しいかとも思うが、話し合いの結果やっていこうという可能性のある人はいる。揉めた時にどうするかが決まっていないと難しいので、共同親権と決めて揉めた時には裁判所となるとなかなか難しいのではと思う。
米山隆一議員(立憲)
改正法案では、裁判所の役割が非常に大きい。
正直、いまの家裁のスタッフの方の専門性で、本当にきちんと判じることができるか?細々としたことまで迅速に決定できると、私はあまり思えない。いまの裁判所で、求められている判断ができるのか?
原田直子参考人
人的・物的に大変だということを何度も申し上げているが、家裁は家事事件手続法で主張の透明化と双方の主張を相手方に伝えるとしている。昔は調停は家裁で訴訟は地裁だったが、訴訟も家裁で行うようになり、当事者性を遵守するように進められた結果、葛藤を下げる手段ではなくなった。そういう意味で事件が増えた時に人的・物的にも大変だし、葛藤を下げる作りになっていないと実感している。
米山隆一議員(立憲)
「子どもの連れ去り」ということに違和感を感じる。様々なご意見があるこは前提だが、実務は誰が子の面倒を見ているかということだと思う。
時代が変わったとはいえ、日本の文化としては現実として母親が見ていることが多い。「連れ去り」と言われるが、「置き去り」はいいのか。誰が面倒みるのだという話になる。共同親権が前提で「急迫」でないとなると別居できなくなる。別居せざるを得ない場合に、妨げる可能性があるのではないか。
また、「社会の変化」と言われるが、逆に、社会はそうなっていない。ジェンダーギャップ指数、日本は125位。現時点では、男女共同ではない。ジェンダーギャップを解消せずに、共同親権だけを進めるのは順序逆では。
原田直子参考人
父が家事育児に参加といっても、何をしているかと聞いて、「何をしている」と何をしているかをあげているうちは共同ではないと思う。マネジメント全体として、何が足りないか、何をしているかということをトータルして、誰が責任を持ってやっているかというのが「主たる監護者」の問題。
殴られていなくても、冷たい関係であるときに、子どもをそこに置いておいてよいのか?で皆さん悩んでいて、それができないなら私はずっとここで我慢しなくてはいけないと言う。そういう時、私は「あなたが幸せでなくて子どもを幸せにできますか」と言う。そういう意味では、子どもを取り巻く環境が良いのかどうかということと、お互いが冷静に話し合いができない状態・緊張関係にあるときは連れて出てもいいとみんなが思える、あるいはそういうことをしないで突然家を出た場合は監護者指定を申し立てて、どういう状況が子どものためにいいのかを家裁で話し合うのがいいと思う。
池下卓議員(維教)
共同監護計画や親講座について行政のサポートがあれば作るべきだと考えているか?
原田直子参考人
どういう場合のことを想定しているかがよくわからないが、そういうものは今でもできるしやってほしいと思っている。
本村伸子議員(共産)
一人ひとりの子の最善の利益について、現状ではどう判断されているのか?
原田直子参考人
どの場面で「子の最善の利益」というかで違うと思うが、家事事件においては、一定の類型では子の意見を聞くとなっているが、実際には15歳以上の子どもであれば子どもに何か書面を出させることで終わっており、親権争いになった場合には、子のお話を聞くということになっている。小さい子どもの場合は家庭訪問して、「今度この人が話を聞くからね」と話し、仲良くなってから。小学校高学年くらいになったら家裁に連れてくる。ほとんど1回くらいしか会わない。
そういう意味では、子どもさんに今どういう状況で、なぜ家裁に来て、あなた達がどう思っているのかちゃんと聞きたいと丁寧に説明して話をするという手続きをすることが大事で、そうされることで、子どもは親の紛争は自分のせいではない、不安を持たないということになり、それが子の最善の利益ではないか。もちろんその前提に安全・安心がある。人格ではなく意思の尊重を入れるべきだ。
本村伸子議員(共産)
部会の最後で「棄権」されたが、反対の方の理由も含めて教えていただきたい。
原田直子参考人
反対された方は共同親権ありきの議論だったと、大村参考人には申し訳ないですけど、共同親権導入には時期尚早だと。それは私も同じ。
あそこで議論をして、要綱の解釈について議事録にきちんと残せばそういう解釈になるのだという説明を受けた。それで私は何回も聞いたし反論もなかった。ここで反対すると、議事録に残したことにも反対したことになってしまうのではないかという懸念があり、でも賛成はできなかったので棄権をした。
以上
誤字脱字がありましたらすみません。
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