岡村晴美弁護士 2024年4月3日衆議院法務委員会(民法改正の参考人聴取)
岡村晴美弁護士の意見陳述及び岡村弁護士に対する質疑を書き起こしました。
岡村晴美弁護士の意見陳述
名古屋で弁護士をしております岡村晴美と申します。弁護士になって17年目になります。取扱分野は、DV・性虐待・ストーカーの事件が8割、残りの2割で、職場のパワハラやセクハラ、学校のいじめの事件を担当してまいりました。離婚事件に関しては、これまで1500 件ほどの相談を受け、受任した事件は600件ほどです。DV事件を担当してきた弁護士として、今回の改正に反対の立場からお話し致します。
ここ数年、困難女性支援法の成立、DV防止法の改正、性犯罪に関する刑法改正など、困難や暴力にさらされている女性の支援法の整備が進められてきました。しかし、支援の現場にいる私たちはそれを実感できていません。
現在、DV被害者は、受難の時を迎えています。日本では、まだまだ男女の賃金格差が大きく、「ワンオペ育児」という言葉に象徴されるとおり、性別役割分業意識が残り、経済的に劣位に置かれる女性の多くは、家庭の中でDVを受けても、子どもを育てるために我慢を重ねるという現状があります。DVには、身体的暴力はもちろん、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、社会的隔離などの非身体的暴力を含みますが、それが社会に周知されているとは言い難く、身体的暴力が重いDVで、非身体的暴力は軽いDVであるという誤解があります。
DVの本質は支配です。暴力は手段。海外では、Domestic Violence(DV)という言葉を改め、Domestic Abuse(DA)という言葉が使われるようになっているそうです。DVに関する無理解のもと、子連れ別居をしたことを、そこだけを切り取って、「連れ去り」「実子誘拐」などと非難する風潮が生まれています。DV被害者に対して、誘拐罪での刑事告訴や民事裁判、 被害者側弁護士に対する懲戒請求、「自分の方が連れ去られ被害者である」旨をSNS等で発信し、 配偶者や子ども、その親族の写真や個人情報を公開するなど、加害行為が別居後にも終わらず、 むしろ、復讐にも近い形でエスカレートするケースが増えています。
離婚や別居でDVが終わるという時代はもう終わりました。適切な言葉がないのですが、海外では、Post Separation Abuse というそうです。日本においても、非常に深刻な被害が生じていますが、世間に知られていません。「離婚後もパパもママも」という言葉は心地よい響きですが、離婚後も子どもを紛争に巻き込み続ける危険性について、真摯に受け止めなくてはいけません。
共同親権制度の導入を求める人たちの中に、離婚後の子どもに対する養育責任を果たすことを目的としている方もいるでしょう。しかし、親権を権利と捉え、強く「親の権利」を主張して、自分の思い通りに子どもに関われないのは、単独親権制度のせいであるという、誤解に基づいた主張も散見され、家事事件の現場で、紛争性を高めているという実態があります。
例えば、「未成年者等の健全な育成を監督する」ために別居親が面会交流を求め、面会交流の不実施について違約金を定めるよう主張するなどした事案では、監護状況の監視を目的とする面会交流は、必要性がないばかりか、子を別居親と同居親との間で精神的に板挟みの状況に置きかねないとして、子の利益に反する旨判断されています。 また、別居親が、同居親に対し、「父子断絶をもたらした」「しつけもできず監護親として不適格」などと非難を繰り返し、年3回、1回2~4時間の面会交流を認めた審判を足掛かりに、間接強制を繰り返し申し立てるなどした事案では、その抗告審において、別居親と子との面会交流は禁止されています。
これらの事案は、共同親権制度が導入された場合に、共同から除外されるのでしょうか。共同親権制度の必要性については、不信感を根拠に監視し合うことにあるようにも解されており、不安でなりません。
2010年代以降、家庭裁判所は、面会交流について、積極的に推進してきました。2011年の民法改正で、「面会交流」が明文化され、2012年、裁判官が論文を発表すると、面会交流は「原則実施論」と呼ばれる運用となりました。調停の席で、「どんな親も親は親」「虐待があったからこそ修復をしていくことが子どものため」という説得がなされ、DVはもちろん、虐待も、子の拒否すらも軽視されて、同居親にとっても子どもにとっても非常に過酷な運用がなされました。
法制審議会では、2010年の調査に基づき、「離婚直後は紛争が激しいが、3年とか5年で落ち着いてくる」ということが紹介されていましたが、2011年以降、実務は様変わりしています。
家族の問題の根本は、人間関係です。離婚後に面会交流ができる人は自分たちで自由にやれています。期日とか、約束とかなく面会をやれているのがベストなんです。それができない人、つまり、自分たちで決められない関係にある人たちが法律・裁判所を使います。その結果、困難な事案ほど、面会交流の細かい取り決めが求められ、審判で命じられるということになりました。面会交流時の殺人事件や、面会交流中の性虐待事件も起こっています。これは、極端な事件ではなく、氷山の一角です。
このような実態を踏まえ、2020年、家庭裁判所は、運用をあらため、ニュートラル・フラットの方針を示しました。原則・例外ではなく、ニュートラル、フラットと、公平なことを言葉を2個も重ねて事案に向かうということが提案されたのです。
「面会交流は子どものために良いもの」という推定のもと、DVや虐待などの不適切ケースは調査によって除外できるという考えで、弊害を生じさせてきました。これは、共同親権制度の導入を考えるときにも参考にすべき経験です。「親権の共同は子どものために良いもの」という推定に基づいて「原則共同親権」と解釈することは、子どもの利益を害します。
共同親権制度の賛否が聞かれることがありますが、私は、「共同親権か、単独親権か」、という問題の立て方に違和感があります。「離婚後の父母と子の関わり」をどう考えるかという問題であり、法制度のあり方にはグラデーションがあるはずです。 現行法では、離婚後の同居親が親権を行使する場合、つまり子どものことを決める場合、単独でもできるし、別居親と一緒に決めることもできます。1人で決める、つまり単独親権と、相談して決める、つまり共同親権を選択して行使することができます。しかし、共同親権制度が導入され、共同親権が適用されれば、単独で行使することは、例外事由にあたらない限り許されなくなります。
つまり、 同居している監護親が一人で決めることが出来なくなるということです。他方の親に、拒否権を与えることになるのです。「単独行使ができるのか、単独で行使すると違法になるのか」というのが共同親権問題の正しい捉え方です。父母の意思疎通の困難さを軽視して共同親権を命じれば、子に関する決定が停滞し、裁判所がDVや虐待を見抜けずに共同親権を命じれば、DVや虐待の加害が継続することになるということを深刻に捉える必要があります。
他方で、日常の監護に関する共同の規定は、現行法においても民法766条という規定がすでに存在しています。共同養育に関しては、当事者間で協議ができないときには裁判所が審判で命じることができます。親権の有無と面会交流の実現とは、別の問題です。面会交流については、非合意型の審判制度を認めつつ、親権という子どもに関する決定に関わる規律については、父母双方の合意がある場合のみ共同行使を選択できる現行法こそ、子どものために最善で、最適解の落とし所だと考えます。
今回の法改正は、「子どもの養育責任を果たさない親に責任を果たさせるもの」ではありません。「子どもが別居親に会いたいときに会える手続きを定めたもの」でもありません。「同居親の育児負担を減らすもの」でもありません。「男女共同参画を進めるもの」でもありません。「選択肢が広がって自由が増える制度」でもありません。「父母が協議して共同親権を選べるようになる」という説明がされることがありますが、そこが論点ではありません。それに反対している人はいないんです。共同親権制度は、自由を広げる制度ではありません。相談して決めることが出来そうな人たちにとっては必要が無く、相談することができない対立関係にある人ほど強く欲する制度。それが共同親権制度です。
親権の共同行使の合意すらできない父母に、それを命じたところで上手くいきません。第三者機関がサポートできるのは、「双方に合意がある面会交流」に限られていることに留意する必要があります。DVや虐待が除外されなければ、共同親権が支配の手段に使われる可能性がありますが、改正法に抑止策はないに等しいのが現状です。
法制審議会の家族法部会で要綱を決議した際には、3名の反対、1名の棄権があったものの、多数決で採決されました。これは多様な意見を取り入れてということが大村先生から言われましたが、端々にある極端な意見を切って中庸をとったというのではありません。DV被害者やシングルペアレント支援者の意見がただ単に切り捨てられたということになります。どうか、国会で慎重に議論してください。
法制審議会で、中心的な役割を果たした棚村政行委員は、取材に対し、「共同親権が望ましい場合の基準や運用については十分な議論ができなかった」と述べています。結論ありきで、議論が不十分なまま押し進めるのは絶対に止めてください。
反対や慎重な検討を求める声は、たくさん上がっています。2024年1月、弁護士有志から、法務省に対し、慎重な議論を求める申入れを行いました。その際にも、多数の切実な声が寄せられました。
代表的なものを2つご紹介します。
1つ目は、「ごく普通の離婚」の場合でも共同親権制度の導入は子どものためにならないという点。「離婚というものの本質は元夫婦間の信頼関係の決定的な破綻。信頼が破壊された父母間が法的手続きを利用している。信頼関係にない父母による共同親権は子どものためにならない」。
2つ目、「共同親権制度に対する深刻な懸念の声を届けても真摯な対応はなく、皆、失望しています」という点。「現行法でも何ら共同養育をすることに問題はない。相談者、依頼者から、深刻な懸念の声を聞いている。フォロー・ケアの担保なくして法制化はありえません。」。
2024年2月に実施された弁護士ドットコムのアンケートでも、要綱案に8割が反対という結果が出ています。法案提出前の議論についても、8割が「議論が尽くされていない」と回答しています。 「離婚の現場はどう変化するか」という問いに対しては、紛争が長期化する/対立が深まる/取り決めが細かくなる/トラブルにつながる/結婚や離婚を諦める人が増えるという声が寄せられています。子どもにプラスになるという意見が、「子どもの養育に、共同していく意識が醸成される」という理念的なものに止まるのに対し、子どもにマイナスになるという意見は、「保育園入園妨害など、子の福祉に反する状況が発生する」「監護親が進学や病気の際などに速やかに方針決定できない」など、子どもの生活に直結しています。
導入されようとしている改正案は、問題が山積みで、15分の間に指摘しつくせるものではありません。
最も懸念されるのは、共同親権が適用された場合、同居中であっても、別居後であっても、他方の親の許可が必要となり、許可をとらなければ、違法とされ、慰謝料請求されることになるということです。これを抑止する手当がありません。Post Separation Abuse の武器が、無限に加害者に与えられます。対策なく法改正されることになれば、家族法が、ストーカー促進法、嫌がらせ支援法となりかねません。 裁判所の人的・物的資源の拡充なく、規定が先行することに対しても大きな懸念があります。
現在でも家裁はパンクしています。2か月に1回も期日が入りません。共同親権制度が導入された場合、共同親権か単独親権か。共同親権にした場合に監護者を定めるのか定めないのか。監護者を定めなかった場合に、監護の分掌、教育は父だが、医療は母などの取り決めをするのかしないのか。はたまた、平日は母が監護し、休日は父などの監護の期間の分掌(交替監護)をするのかしないのか。複数申し立てられた項目の採否を、家裁がすべて判断することになります。これは多様性の反映ではありません。制度の複雑化です。 そして、折角決めても、共同と決まった場合に問題が生じれば家庭裁判所に持ち込んで決めてもらう必要が生じ、今後に備えて、単独親権を求める申立てもあわせて起こることでしょう。そして、単独親権と決まっても、また今度は共同への親権者変更が起こされる可能性があります。祖父母等、第三者の面会交流が認められたことによる、面会交流事件の件数の増加、審理の長期化も避けられません。 中間試案に対する各裁判所の意見にも、争点が複雑化し、審理が困難で長期化し、申立てが濫用されるという意見が随所で上がっていました。これは、容易に推察できる、具体的かつ深刻な懸念です。
現場の感覚で申し上げるなら、裁判官、調査官の増員は、2倍、3倍では足りません。過重な事件を抱えた家庭裁判所が、迅速に審理を進めようとすれば、「原則共同親権」の運用に流れ、説得しやすい方、つまり弱い方に痛みが強いられ、子どもやDV被害者側の意見が封じられることになるでしょう。 現場から声を上げても、意思決定機関に届くすべがなく、今回、このような機会をたまわりましたこと、本当にありがたく思います。
今回お出しした資料が166ページにも及んでおりまして、議員の皆様におかれましては大変ご迷惑なことかもしれません。しかし、この半分は、私ではない現場の弁護士の切実な声を集めたものになっています。すごく大切な法案です。どうかお目を通していただきたいと、心より思います。
以上が、私からの報告となります。ご清聴ありがとうございました。
議員からの質問
斎藤洋明議員(自民)
午前中の質疑に起きましても、様々な参考人の先生がおられましたが、調停委員・家裁調査官、裁判所の設備など、不安を訴える声がありました。
改めて四人の先生に、いま申し上げた調停委員・家裁調査官、裁判所の設備は、この法改正後の対応として充分な体制になっていると考えるか?不十分であればどのような対策が考えられるか、お考えをお聞かせください。
岡村晴美弁護士
家裁のマンパワー等に関しては資料15の5枚目に、この時は要綱のたたき台というアンケートだったのですが、たたき台通りに改正された場合、8割が家裁はうまく機能しないと答えておりまして、うまく機能すると答えた人は1.1%しかいなかったというくらい、家裁は現時点でパンク状態にあります。
お尋ねいただいたものは、法改正後ということでしたが、私の考えは、まずこれを改善することによって法改正が必要だという人もさほど不満がなくなるということがあり得るのではないかというほど現在家裁にむけられている家事事件に対する不満のかなり大きな要因は、家裁のパンク状態が原因になっていると思います。
寄せられた声として最も目立ったものは、家裁は現状でもマンパワー不足であり、今以上に役割を増やすと対応が難しいのではないかということが懸念の声としてありますが、事件が滞留すると原則実施ということになって、丁寧に見ずに、DV・虐待を除外などできない。子どもが忠誠葛藤でピンポン玉のように行き来させられることも防げないみたいなことになりますので、共同親権に関しても、どちらが同居する親としてふさわしいかぐらいの感覚でしかありません。親権争いが過酷だといいますが、離婚するわけですから、子どもはどっちかの親と暮らさないといけないわけです。どっちの親が適切かなって審議していただけだったのが、今後は更に共同は不適切な親かもしれないということを審議しなければいけない。それが長期化に結びつくと思うので、私は制度の前にというのが私の一番の気持ちですが、仮に法制度の通りとなったとしても2倍3倍ではとても足りない。家庭裁判所のマンパワーを5倍とかにしないと追いつかないだろうと思います。
斎藤洋明議員(自民)
DVが見えにくいというリスクついて、共同親権が温床になりかねないという指摘がある一方で、虚偽DVや連れ去りで既成事実を作ってしまう、父母で子を監護するはずが、単独親権の方向に持っていかれているケースがあるという指摘があります。この指摘についてどうお考えになるでしょうか。
岡村晴美弁護士
虚偽DV・連れ去りという問題に関して、子の親権争いという点にフォーカスするのであれば、私が個人的に言っていると思われても嫌なので、新日本法規「離婚事件における家庭裁判所の判断基準と弁護士の留意点」という本から読みますけれども、日本は調停前置主義なので、親権を争う前に調停をやらなければならないので、195ページにこう書いてございます。
「実務上、親権について真に争いがある事案には、離婚訴訟に先立ち、子の監護者指定引渡し審判を経ていることが多く、そのなかで監護者指定について裁判所の判断が示されている場合…、」とあります。ですから監護実績を積むために子どもを連れ去って有利にするということは実態上ありえない。ありえないことが広まっている。それは私が共同親権制度導入に反対する大きな原因の一つでもあります。すごく私が見ている実務感覚と、どこの国の話をしているんだろうというくらい私が見ている実務と違っている。私の見ている実務は、この裁判官の書いている本と同じです。だからそれは嘘だと思っています。
虚偽DVというが、実際にDVを主張する場面などありません。親権争いは監護者指定の争いになり、一番重要なのは監護実績です。それは子どもが生まれてからどちらの親が結びつきが強かったかによって決まります。両親とも夫婦の生活スタイルの多様化で共稼ぎもあるじゃないかと言いますが、子の裁判官の本には123ページにこう書いてあります。「多様化がされているといっても、結びつきが強いこと、いわゆる保活や入園後の保育の対応、子の衣類や持ち物の準備、発熱時の預け先の確保、発育上の問題についての相談、習い事の選定、…育児の司令塔的な役割を果たしていたのはどちらか、」アタッチメントについて判断しており、どちらの親と同居するかという観点で見ているので、DVかDVじゃないかは論点となっていません。慰謝料請求という事例でなければ、主張しない。面会交流原則実施でできるだけ円満にやりたいので、できるだけDVの主張はしないようにしてきました。ですから虚偽DVなんてリスクのあることをアドバイスしたってしょうがないし、仮にそんな弁護士がいたとしても、その弁護士に対する批判ではなありません。連れ去りとか虚偽DVという言葉を言われるのはDV被害者のためにやっている弁護士が言われる言葉です。そういうことをぜひ思いをいたしてほしいと思います。
日下正喜議員(公明)
慎重派・反対派それぞれのご意見を聴いて、両方とも合っているのだろうと思う。誰の代弁者になっているのか、また自分が実感する部分、どこをとっていくのが一番望ましいのか非常に悩ましい。子の最善の利益をテーマに議論に参加するが、慎重派からは現民法においても、離婚後に良好な関係にあれば共同で監護できていると。改めて共同親権制度を導入する必要がないというご意見をうかがったこともある。しかし、そうだろうか。私が別居親だったら親権は持ちたいと思う。親権は法的な権利であり義務であり、社会的に是認された存在ということになる。誰に対しても胸を張って言えることが大事だ。子どもも親権を持ってほしいと思うのが自然な感情だ。子どものことでは話し合いができる親に親権を与えることが現行法ではできないが、この点を踏まえて民法改正の意義についてご意見を聞きたい。
岡村晴美弁護士
名目的なものであれば、私もそんなに反対していない。私は事実婚で、夫は親権者でない。何も問題なく、胸をはって娘の父親だと思っている。親権者だから、父親・母親でないとはなっていない。
話し合いができる人でなくても、面会交流について、意に反してもやらなくてはならないというのが現行法です。
私が反対だと思っているのは、離婚した父母で連絡とるのも苦痛、文字を見ただけで怖いとか、てにをは一つとってもなぜそんな言葉を使うのかというケースで、ボランティアで面会交流の支援をしてきた。ただそれは弁護士しかやれない。一般的にはそういう業務をやれる体制にない。私は断絶するのを進めているのでなく、権利性を主張することにより、委縮してさらなる断絶を招くよりは、親権の共同という決定の場面においては意思疎通が必要だ。本気で共同親権を導入するなら、弁護士の数をすごく増やして、離婚制度から見直さないと無理であろうと。当事者に共同を丸投げしてもうまくいかないと考える。共同親権の問題と面会・監護など766条の問題は分けて考えていただきたいと考える。
米山隆一議員(立憲)
私が経験したケースだと裁判になって共同親権は無理だろうと思うが、クライアントの層も違うだろうと考えるので、何割くらい可能と思うか?
岡村晴美弁護士
私の感覚だと、弁護士を通じてしか話ができないケースでは100%に近く、丸投げするのは無理。ADRと簡単に言われるが、現状ないものを言っていてもしょうがないと思っている。現状、親権の共同を仲介できるのは弁護士しかいない。非弁行為になりかねないことを考えると、裁判になるケース、弁護士が関与するケースはほとんど100%に近く、親権の共同を丸投げするのは難しい、支援からやる必要がある。
離婚後、わがままで話し合いができないわけでなく、本当にお互い話が通じない。そういう人たちに決定権を委ねると、子どもが迷っていく。DVを除外とか、どっちが悪いとか以前に話し合いができない関係で親権の共同は難しいだろうと思う。
米山隆一議員(立憲)
改正法案では、裁判所の役割が非常に大きい。
正直、いまの家裁のスタッフの方の専門性で、本当にきちんと判じることができるか?細々としたことまで迅速に決定できると、私はあまり思えない。いまの裁判所で、求められている判断ができるのか?
岡村晴美参考人
裁判所は非常に真面目にやろうとしている。真面目な人ほど弱い側にも耳を傾けるのですごく時間がかかる。早くやろうとすれば、弱い側を説得するという運用になるのが危ない。
大村参考人の選択肢が選べるという話は、合意がある人達にはいい話だろうと思う。裁判所に決定を委ねるとなると、必ず長期化して複雑化する。協議ができる関係性かどうかが非常に重要。監護の分属(一緒に住んでいない人が親権をもつ)は現状運用されていない。大村参考人はエラーケースが入ったら単独に戻して是正というが、エンドレスに裁判が起こりかねない。説得しやすい方に流れやすくなり、捌ききれる数ではなく、一件ごとが長期化すると思う。
米山隆一議員(立憲)
「子どもの連れ去り」ということに違和感を感じる。様々なご意見があるこは前提だが、実務は誰が子の面倒を見ているかということだと思う。
時代が変わったとはいえ、日本の文化としては現実として母親が見ていることが多い。「連れ去り」と言われるが、「置き去り」はいいのか。誰が面倒みるのだという話になる。共同親権が前提で「急迫」でないとなると別居できなくなる。別居せざるを得ない場合に、妨げる可能性があるのではないか。
また、「社会の変化」と言われるが、逆に、社会はそうなっていない。ジェンダーギャップ指数、日本は125位。現時点では、男女共同ではない。ジェンダーギャップを解消せずに、共同親権だけを進めるのは順序逆では。
岡村晴美参考人
「連れ去り」という言葉が当たり前みたいに使われていることに非常にドキドキしていたので質問自体がありがたいと思った。
責任感を持って子育てする人が、子を連れて出て行く。置いて出ていくのは心情的に難しく、この国は女性に育児や家事の責任感を持たせている国だと感じている。連れて行けば「連れ去り」、置いていけば「置き去り」と言われ、一緒にいた場合にDVか確信がないと出て行けないとなると、DVが深まり、虐待が併存し、虐待死みたいな事件の背景にDVがあると「なんで早く逃げなかったんだ」と言われる。ヒヤリハットで逃げないとわからない。
弁護士に相談する事件で、妻が子どもを連れて出て行ってしまったという相談が、昨今「連れ去り被害にあいました」という相談になっていて、それが葛藤を高めると危惧されている。
ジェンダーギャップとの関係だが、低いことの表れとして、ワンオペ育児やイクメンという言葉があるうちは全然ダメだと思っている。男性が家事・育児に関与していた人達は、私の感覚ではあまり離婚していない。
子どもの監護者は責任感があるのだというのは、先ほどの本にも「育児の司令塔的な役割を果たしているのはどっちかという観点で監護者を決めているという点があるので、社会の反映ではないかと考える。
本村伸子議員(共産)
一人ひとりの子の最善の利益について、現状ではどう判断されているのか?
岡村晴美弁護士
面会交流については、いっとき原則実施論に流れたものの、今は安全、子の状況、親の状況、親子関係、親同士の関係、環境の6つのカテゴリでの一切の事情を考慮して、DV・虐待では安全第一、ニュートラルフラット(同居親・別居親の何れの側にも偏らず先入観を持たずひたすら子の利益を最優先に考慮する立場)でやっていこう、と裁判所が決めて、2020年から運用が変わったことを感じつつある。
親権争いについても同様に、子の立場を最優先にしていくことが望ましいと思っている。
また子の立場で考えるときに、子の最善の利益を考えて計画を最初に立てることがよいものであると前提に思っているかもしれないが、紛争の現場にいると、事細かく最初に決めると2つの弊害があって、ひとつは大人の決めた約束に従わされるのは、虐待行為に近い。ワラースタイン(アメリカのたくさんの事案を研究した方)は、「事細かに決めた面会計画に従って、面会を続けた子どもは一人残らず親を恨んだ」と言っている。子どもにとって一番良い面会は、会いたいときに会うのが子の意思の尊重になる。
弊害のひとつは決めればいいというものではないということ。二つ、計画と違うと裁判をすることを勧める人がいる。裁判は全体的に気軽なものだ、裁判所で決めればいいというが、記録が段ボール何箱もあるような、誰も受けない事件を、自分が最後の砦と思っていくつも受任したから思うが、裁判沙汰は普通のシングルで育てている人にとっては極めて苦労する。それを繰り返すことが子の養育の質を下げている。そのことを、子の最善の利益というときには考えてもよいのではないだろうか。「裁判所で適切に決める」と気軽な感じで進んでいるのが違和感がある。
本村伸子議員(共産)
子の意思の尊重についてどう考えるか?
岡村晴美参考人
原田参考人に異議なし。一度会うだけで尊重されているとは思わない。
法制審の議論では、「意思を尊重する」という弁護士を中心とした意見を切り捨てる形で、「人格を尊重する、その人格の中には当然意思の尊重も入るのだ」ということになった。それは非常に問題がある。
子は理路整然としゃべれる子ばかりではない。そういう子どもの声が切り捨てられないかがとても心配。
私の経験でも、幼少の子どもが大変かわいがられていて他の兄弟は面会したがるだろうと思っていたが頑なに拒んでいた。半年後、親しくなった心理士に話ができ、同居中に性虐待があったことが発覚した。直ぐには言えず、別居してだいぶ経ってからようやく言えたということもある。
その子からすると、会いたくないと言っているのに、大人が寄ってたかって「なんで?可愛がられていたじゃん」等と言われたことが恐怖でならなかったと。なぜ会いたくないかを理路整然と合理的に話せる子ばかりではない。意思を尊重することは非常に重要だと思う。
本村伸子議員(共産)
DV被害者が子を連れ去られるケースと共同親権との関係について
岡村晴美参考人
DV被害を中心にやってきましたので、子どもを連れ去られたり追い出されて別居親になってしまった事件をいくつもやっている。別居親となったDV被害者は一番激烈なDV加害。ただ、私の依頼者は共同親権を望んでいるかというと、共同親権導入に反対している私の活動にすごく賛同してくれている。
結局子どもを連れ去られたり追い出されたとき、監護者指定の申立をすることになる。そんな人とはやっていけないので、単独親権を求めることになる。それを功を奏しない場合は、私が見たところ子の意思に反する場合。同居審に忖度している場合もあるが、子がDV加害者と一体になって加害的になっている場合もある。DVはすごく深く、子どもに与える影響は大きい。それは共同親権になっても救えない。私は面会交流を「小さく生んで大きく育てる」というが、子どもとの一点の関わりを確保したいとDV被害者の多くは言う。面会もできないのに共同親権が与えられて、同居親と子どもが決めたことに拒否権の発動ができるかと言ったらできない。何ならハンコがいるからと説明を受けることすら苦痛だろうと。
ひとりの依頼者が「私は子どもに拒否されているがずっとあなたの味方だよ、応援するよと言ってきた。その子が今私を拒否しているなら、その拒否しているあなたに寄り添いたい」と身を引くことがある。とても悲しいが、そこで連れ去りだ、刑事罰だとやったところで、子どもの意思に反することを続けたら子どもの気持ちはどんどん離れて断絶する一方。
私はそういう人達に寄り添って、事件をやってきた。しかし、そういう弁護士に対する攻撃がすごくて誰も続けられない。
どうか綺麗ごとでなく、どういう人が連れ去りと言われているか、よく調べてほしい。DV被害者にとって共同親権は役に立たない。むしろ怯えている。
本村伸子議員(共産)
DVは除外できるといわれるが、その点についてどう思うか?
ポストセパレーションアビューズ(別居後の嫌がらせ、虐待行為)の実態について。
岡村晴美参考人
共同親権の話をしていると、DVを除外するという話が出てくるが、一番除外しなくてはいけないのは話し合いができない関係性のケース。DVがあっても、そのDVをすごく悪かったと思い、被害者も今から関係をやっていこうということであれば共同できるが、話し合いがほとんどできないということが一番問題かと思っている。
DVを除外するといったところで、共同親権を推進する人はDVを狭く理解する。軽視することが問題。
ポストセパレーションアビューズは、離れても暴力が続くというもの。これについて、DV防止法では手当てがされていない。この問題への対応なしに、共同親権を導入することにすごく懸念がある。
本村伸子議員(共産)
弱者側が説得されやすい実態があると。DV事件を含め、担当する弁護士の力が必要と思うが、足りているのか?法テラスの実情は?
岡村晴美参考人
弁護士がDV被害者側につくときの障壁は、非常に値段が安くて経営が厳しくなること。そして業務妨害。業務妨害については、実子誘拐ビジネスモデルの弁護士だとネットで言われ、それに焚きつけられた人が苦情を言ったり懲戒請求をしたりとあるなかで、それに怯えて、なるべくそういう事件を受けたくないと。真面目な弁護士ほど、もし共同親権が導入されたら離婚事件から撤退したいという声がたくさんあがっている。
加害的な人をなんとかしてもらわないと、そういうことをきちんとやっていただけるのであれば、こんなには反対しない。
やるべきことがやれていないのに、共同親権が導入されて一番頑張るのは誰ですかというのを考えていただきたい。
本村伸子議員(共産)
海外では共同親権がスタンダードといわれることについてご教授いただきたい
岡村晴美参考人
現代思想4月号掲載の憲法学者 木村草太先生の指摘になるほどと思った。
日本は子どもを生むときの婚姻率が非常に高い。「授かり婚」という言葉について、フランス人に話したら何それと言われた。子どもができたから結婚する、子どものためにならないから離婚するという考えがなくて、フランスでは愛が覚めたら離婚するという、私から見ると驚愕な、そんなこと言ったら離婚家庭だらけになってしまうんじゃないと思ったら、フランスは離婚家庭だらけだ、何なら結婚もしないと言われた。
木村先生は、日本は婚姻共同親権率が高い国で、子どもが18歳になるまでに離婚する人がすごく少ない国だと。子どもの立場になって考えてみると、親が共同親権である確率は世界に比べてむしろ高いと。なるほどと思った。
他国は離婚が容易く、嫌いじゃないけど愛が覚めて離婚するから子どものためにやれる人がいっぱい残っていて、でも日本はそんなことではあまり離婚せず、何とか子どもが大学卒業するまで離婚せずに頑張るという人がいるといったら、そのフランスの人は何それ、本当に話が通じないね、となった。
パッチワーク的に離婚後共同親権を当てはめられても、海外とは婚姻の状況も、制度も、文化も違う。離婚に対する考えも、日本はお互い〇と〇で結婚し、×と×が揃わないと基本的には離婚できない。だけど海外では×と〇で離婚できるという状況で、共同親権で子育てできる人の割合は、日本の婚姻中共同親権の割合と似てくると思うし、フランスでは親権制限の割合が、人数が10万件ある。日本ならば20万件ないといけないが、日本は親権制限が100件程度で離婚が20万件。
世界が共同親権というからには、共同親権状態で育てられている子どもの割合でみるという視点も必要なのではないかと思った。
岡村弁護士は、この数年共同親権推進派から本当に苛烈な嫌がらせを受けていて、3/29国会前デモで「私はもう満身創痍で、どこにも傷ついていないところがない」と話しておられました。
岡村先生の話を聞いてなるほどと思った皆様には、ぜひ岡村弁護士の応援をお願い致します。
以上
誤字脱字がありましたらすみません。