自分を信じ、評価するということ:ドラマ『ライブラリアンズ』を通しての考え

今日は私の大好きなTVドラマの一つ、『ライブラリアンズ』を見ていた。

俳優のクリスチャン・ケイン目当てで見始めたのだが、ファンタジー好きには楽しく、安定して見られるドラマだと思う。

今日見たのはS3のEP7、エゼキエル活躍回だった。

愛されたい一人の人間が惚れ薬と魔法を利用してみんなから好かれようとする所を、ライブラリアンズが阻止しようとするものである。 

エゼキエルのセリフに、自分を信じ認めるのに他人は必要ない(日本語字幕)、といった内容の台詞があった。英語は多分こんな感じ。

 I don't need other people to make me believe myself and evaluate me. You don't either.

また、執着心と愛は異なるという事も言っていた。


私達はよく周りの評価に左右される。

周りの評価なしでは生きてけないとまで思う。

でも、私が私として生きていくことに、他人の評価は関係ないはずなのだ。

もちろん社会で生きるということになると、多少は変わってくると思う。

大学の授業で、日本語ではPrivateにあたる語彙がないと教授が言っていた。

Publicは公、Privateは私と表現されることもあるだろう。

だがそれでは、すべてを表現できないのではないだろうか。

Publicの自分がすべてを司っているような感覚に陥るが、Privateの私の存在を認め、癒やすこと、そしてPublicな自分から引き離してそっとしておくことも大切だ。

それに、やはり自分を信じて認めるのに、他人の評価やその評価を内面化した自分が自分を抑圧するのは、本当にしんどいことだと思う。

私も少しずつそうしていきたい。



それにしても、エゼキエルが本当に好きすぎて辛い。

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