ハリーとナルニアと指輪と…。
最近は、kindle unlimitedの無料体験期間を利用して、いくつか文学作品を読んでいる。
その中の一つが、J.K.ローリングによる、Harry Potter and the Philosopher's Stone.(1997)である。
先日、ファンタスティック・ビーストの映画を見て、「ハリー・ポッター」シリーズを読み返そうと思ったのだ。
いつも日本語版の変な言い回しが気になっていたので、今回は英語版にした。
楽しい読書を期待していたはずなのだが、読み始めて間もないことにも関わらず、読み終える自信が無くなってきた。
それは、今までハリー・ポッターシリーズに感じていたモヤモヤが少し解決したからである。
そのモヤモヤの正体は、1、作者の文章があんまり肌に合わないこと。
2、主人公ハリーが好きでないことだ。
英文は苦手意識があり、ここ数年英語で書かれた文章から逃げてきた。ざっくりと概要をつかむ読み方しかしていないため、本当のファンの人からしたら何やねんという感じになるかもしれない。
あれだけ小学生から中学生までの間、大好きで仕方なかった作品を好きでなくなった理由が、今になってようやく言語化出来る様になってきた気がする。
1、作者の文章があんまり肌に合わない
両親を亡くしたハリーが預けられたダーズリー家の説明が、必要以上にネガティブなイメージを与えるような描写があると感じた。
ディズニーのシンデレラの周りの環境が描写されている様子を見ているような、複雑な気持ちになった。
ただ、まだ読み始めなので、今後もし読み続けることがあれば追記するかも知れない。
2、主人公ハリーが好きでない
現在読んでいる箇所はハリーが登場してから数ページ目なのだが、ハリーの性格がおかしいような気がする。
なんというか、生意気すぎるのだ。
生意気なことは別にかまわないが、ハリーが育った環境で作られそうなイメージする人格がキャラクターと一致しないような心地悪さがある。
これも感覚的に捉えていることなので、まだ根拠があるわけではない。
一方で楽しみながら読んでいる作品もある。
それは、C.S.ルイスの「ナルニア国物語」シリーズで、土屋京子訳の『魔術師のおい』である。2016年に出版されている。
今まで「ナルニア国物語」は、瀬田貞二訳のものしか読んでこなかった。
加えて、いつもナルニアの世界に浸りたいときは『ライオンと魔女』から図書館で借りて順に読んでいくため、最後の方はほぼ話の展開や内容を忘れていることが多い。
そのため、今回の読書は訳者が異なること、話順が異なることから、とても新鮮な気持ちで読んでいる。
瀬田氏の翻訳版もとても面白いと思う。翻訳された時代があまりにも異なるために、言い回しやなじみのないものをなじみのある異なるものに表現して翻訳されている。
色んな児童文学を読んでいきたいとは思っているが、安心感から戻ってくるのは決まってC.S.ルイスやダイアナ・ウィン・ジョーンズである。
こうなったら、J.R.R.トールキンも小学生の時に挫折したリベンジで読みたい。