24.【きっかけ音Note(オトノート)】第1弾:HOME MADE 家族〜2MC+1DJ "大中小"という分かりやすく親しみやすいスタイルの音楽〜
▼目次
1、はじめに
2、HIPHOPの沼にハマったきっかけのRapCrew=『HOMEMADE家族』
~アニメ『BLEACH』から知る~
3、激震‼︎ 地元愛を歌う曲に心を持ってかれる
3、彼らの同郷、先輩・同期アーティスト
4、何故、名古屋HIPHOPが広まっていったのか?
【はじめに】
こんにちは、宇佐美です。
僕がRapカルチャーを好きになった
出会いのきっかけになる小話しを、
させていただきます。
(Rapを始めるきっかけになった
アーティストも、別記事で紹介します。)
【HIPHOPの沼にハマったきっかけのRapCrew=『HOMEMADE家族』】
僕から音楽を発信する前。
音楽をつくる側の立場になる、
ずっと前の話し。
ズブズブにさせるきっかけとなった
アーティスト(RapCrew)が、います。
そんな僕が初めにHIPHOPに触れたのは、
名古屋発祥Rap crew
"HOMEMADE家族"
(引用元:https://www.home-made.jp/)
【HOMEMADE家族とは?】
KURO(MC)、MICRO(MC)、 U-ICHI(DJ)を
メンバーとする、HIP HOPグループ。
1996年、大学時代に愛知県で出会い結成。
2004年5月にメジャーデビュー。
「サンキュー!!」「少年ハート」
「サルビアのつぼみ」などの、
スマッシュヒットを連発し人気を博す。
2009年には、グループとして一つの夢である
単独武道館LIVEを成功させる。
「血は繋がっていなくても、
音楽を通して家族のような存在になる」
をコンセプトに活動を続け、
代表曲「HOME SWEET HOME」に表れているように、
地元愛を大切に活動を続けるグループである。
(一部、省略)
2016年12月をもって一時活動を休止することを発表。
11月30日には、休止前最後の作品となるベストアルバム
『LAST FOREVER BEST 〜未来へとつなぐ
FAMILY SELECTION〜』をリリース。
12月には最後のツアーを、
東京、名古屋、大阪で行い、その活動を一旦締め括る。
一部引用:公式サイトHOMEMADE家族
https://www.home-made.jp/posts/357177
僕は「彼ら」の音楽を、いまだに聴いてます。
17年間離れることなく、聴いています。
家族愛もあり温かいheartfulな曲もある
印象かと思いますが、
インディーズ時代の楽曲も、
かなり攻めているRapをします。
気分良くしていこうってする時は、
彼らの音源を聴いてから動き出すことが
よくあります。
あとは、初心に戻ろうとする時ですかね。
一回立ち戻るところです。
【僕が知ったきっかけ】
僕が初めに触れたきっかけは、
"BLEACH"というアニメのエンディングに、
タイアップされていたのが、
きっかけでした。
約17年前、中学1年生の時ですかね。
(そんなに時が経ったことに驚きを隠せません)
宇佐美家の4つ上の兄は、
実家でVHSテープ📼に、
気になるアニメを録画をしていました。
当時、僕らの中学生時代。
そんな鼻垂れなガキンチョの頃。
週刊少年ジャンプアニメの、
全盛期時代でした。
その中でも、アニメ『BLEACH』が、
放映され始めます。
漫画は、正直読んだことがなかったけど、
代表とするジャンプ漫画がアニメとして、
テレビ配信されていることを知り、
気になるアニメを網羅するのが日課です。
実の兄と、まとめ見することを、
よくやっていて深夜23:00から、
録り溜めたアニメを見始めることは、
かなりザラにありました笑
そこで、"BLEACH"のエンディングテーマで、
流れていたのが、この『サンキュー』
という楽曲でした。
【激震‼︎ 地元愛を歌う曲に心を持ってかれる。】
当時は、「エンディングが良い曲だし、
買ってみよう」そんな風に思って、
CDショップに、足を運びました。
中学の塾に行く前、駅前の新星堂で買って、
塾の休憩中にCDプレイヤーで、
ヘッドホンで聴いてました。
まず、一曲目:『サンキュー』
うんうん、思った通りの曲。
あったかくなる楽曲です。
身近な人、いろんな人に、
感謝したくなる楽曲です。
続いて2曲目を聴いてみますか。
次の二曲目『HOMESWEETHOME (Rebron)』)
なんだこの曲……
今までにない、衝撃を覚えました。
歌詞の一部を掲載させていただきます。
《hook(サビ)》
何処に住もうと 何処に行こうと
育った町並みと見飽きた景色が なんだかんだやっぱ最高
地元が心のより所 つまり HOME SWEET HOME
きっと誰もが HOME SWEET HOME
いくつもの思い出が光ってる 帰る場所はいつも決まってる
世界地図を広げてみても どんなに地球儀回しても
ホームタウンよりやすらぐ場所なんてない
そうだろう? Yo People!
離れていても忘れられない いつもの風景照らすDay light
俺にとっちゃ俺が育った町がやっぱNO.1絶対
Even if don't have 地元 気持ちは根付いているのさ友と
元々ここの子でなくても 奥底の心で繋がってんの
喋る言葉や発音を超えていこう ここにあるのはそれより大事なもん
このまちの器にありがとう その気持ちを胸に今 旅立とう
この曲は何がいいかと言うと、
楽曲のメロディライン、そしてフロウ(歌い回し)
ライミングと二人の違うスタイルのRapに、
少年の僕は、音楽の新鮮さを感じ、
この日から心鷲掴みされました。
【彼らの同郷、先輩・同期アーティスト】
HOMEMADE家族は、
名古屋にいる人なら、世代を超えて
知ってる人も多いアーティスト。
同郷のHIPHOPアーティストはと言うと,,,,,,
かなり豪華なアーティストが多いです。
ここで同郷アーティスト(hiphop&singer)を
勝手にご紹介します。
"nobodyknows+"(現在g-ton除く 5名)
(引用元:https://twitter.com/msooja)
『ココロオドル』という、
僕らの世代のカラオケ定番曲にもなり、
有名になりました。
インディーズの頃からの繋がりで、
かなり攻めてる曲もやってます。
『EL SAMURAI』という楽曲が最高です。
お互い名義を変えて客演でHOMEMADE家族が
入ってました。
SEAMO(元シーモネーター&DJ TAKI SHIT)
(引用元:https://seamo.jp/)
以前は、シーモネーター&DJ TAKI-SHITという
crewでしたが、放送コードにひっかかる
という理由で改名することに。
何度もお互いのアルバムや、シングルで、
HOMEMADE家族とコラボしています。
Ms.OOJA (引用元:https://twitter.com/msooja)
HOMEMADE家族の3人とは、
20年来の仲であったとされています。
"AK-69"(引用元:https://ak-69.jp/)
AK-69とは、『この場獲るBATTLE feat.AK-69&B-NINJAH』で初コラボ。
MCのKUROと、AK-69はバイト先の
先輩(KURO)に後輩(AK-69)に当たります。
故・TOKONA-X
(引用元:https://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%82%A4%C3%97%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%BC-TOKONA-X/dp/B00ET821UG)
『知らざぁ言って聞かせやSHOW』という、
今MCバトルでもよく聴くbeatの原曲です。
彼は、名古屋HIPHOPの中でも伝説となりました。
まだまだ熱いアーティストがいますが、
ゆかりのある方々をご紹介しました。
今でもこの名古屋hiphopを耳にすることは、
多いです。
自分のパワーになっています。
【何故、名古屋HIPHOPが広まっていったのか?】
ここで何故、名古屋HIPHOPという
Rapカルチャーが、広がっていったのか?
興味深い記事があったので、紹介しようかと思います。
【『名古屋からHIP-HOPのヒットが生まれる理由』】
※ORICON NEWS参照
そもそも、名古屋・中部地区にHIP-HOP系アーティストを生み出すシーンはあったのか。クラブ「オゾン」の設立にかかわり現在HOME MADE家族のマネージメントを手掛ける大野明宏氏は「11年前クラブをオープンした当初は特にHIP-HOPをというわけではなく、ハウス、テクノ、レゲエなど幅広く取り上げてきた。意図したことはアーティストのパフォーマンスをみせるステージを作ったこと。その中で、言葉を必要とする音楽であるHIP-HOPが自然とクローズアップされてきた」という。名古屋地区に限らず、全国的にHIP-HOPが広がりつつある時期だった。「ZIP-FMが地元のアーティストをピックアップする流れがあり、ラジオでオンエアされる状況があった。紙媒体ではスパイマスターというファッション誌がクラブ系を取り上げてくれた。表現するメディア、発表するメディアがあり、CD制作においては豊田のレコーディングスタジオSWING STUDIOの存在が大きい。レコーディングのアドバイスなどインディーズ・アーティストをCD制作で支えてくれた。名古屋地区ですべての環境がそろった」(大野氏)。
名古屋の地域性も大きな要因となる。ひとつにはマーケットのサイズ。「名古屋・東海エリアは、東京や大阪ほど巨大ではなく、打てば響くちょうどよい街のサイズ」(杉山氏)。「ほどよくコンパクトな街。お客さんは東京ほど流行に敏感ではないけど、大阪ほど商売気はないけど、名古屋人気質として、いいものに対しては確実に飛びついてくれる」(大野氏)。ライヴメディア、放送メディア、紙メディアが中心となってシーンを伝えることによってユーザーを動かしていったといえる。また、名古屋地区のディーラー各店も地元アーティストの作品をコーナー展開するなどのバックアップがあったことも見逃せない。
(引用元:https://www.oricon.co.jp/news/46223/full/)
様々な原因があったからこそ、
いまの名古屋HIPHOPがあったんだと思います。
こういう歴史を知れるのは、面白いですね。
自分のHIPHOPのルーツとなる背景を
知れることはめちゃ大事なことです。
この記事を書いて知ったことも、
多くあり勉強になりました笑
次は、HOMEMADE家族が、
愛知県蒲郡市で主催する
『家族Fes』についての、
記事を書いていきます。
では。。。。また👋
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