Green Talk 53 : 言葉にする言葉を聞く
昨晩、近くのスーパーに夕飯の買い物に行きました。「何食べたい?」と聞いて家族の答えが「なんでもいいよ」の日は、私が食べたいものの日。
魚屋コーナーに真っ先に行き、何があるかなとのぞいたら。シルバーバットに入った好物アジを発見。新鮮ならお刺身または塩焼きでいきたいところなのですが、今回はちょっと遠方から来たものだったり、目方もそこそこ大きかったので、そうだ!フライにしよう、と。
3枚におろしていただく時に伝えました。
「プラスチックの入れ物はいりません、ビニールだけでいいです。」
大きいものだったので、家から持っていたロウ引き袋に入れてくださいという機会でもなく。今日は半歩くらいの前進だなと思い、入れ物を断ったのです。結果、そうしていただけたのですが。
「そうだよね、ゴミになるもんね。わかりました。」
というお返事に、私、少し驚いてしまいました。
あ、魚屋さん、同じ気持ちなんだと。
Bea Johnsonさんのゴミ0生活の5つのルールの最初がRefuse/断るです。
シンプルにNoということと、Noと言わないことはそれを是として私が受け止めてるとみなされる=新たな需要を生むことだと、ここにかいているように学びました。
ですが、「そうだよね、ゴミになるもんね。」という魚屋さんのお返事を聞いて驚いたということは。
私は無意識に、私はNo、相手は渡したい、という”私vs相手”の構造を、相手の返事も聞かずに持っていたことに気づきました。
全てが差異があるスタートではなく、実は同じだったということもある。
ちょっと大げさに話をしているように思えるかもしれません。
わたしもちょっとそう考える自分に笑ってしまうのですが。
でも、プラスチックの入れ物について、こうやって魚屋さんとお話しする場面を自ら設けたのなら。私が言って、相手が答える。その往復までは、判断することなく耳を向けるのが素直で誠実な姿勢です。
これは、2者に差異があろうがなかろうが、大切でかつきちんと働く行為であり。そうであれば驚くこともなかったのだなと。
そして、その姿勢であれば。
他の方との会話や場面であっても、私はNoを伝え、相手の返事も言葉として聞ける。そこから、それが同じであろうが歳があろうが、互いにこの状況をどう発展させるか、もう一言、二言、言葉を交わすことができるかもしれない。
その発展の可能性を私は信じています。それは、ファーマーズマーケットで知った互いの歩み寄りの中間点かもしれないし、1人では思いつかない私も相手も誰も困難を感じない、抜本的な解決策がうまれるかもしれません。
最後に、Bea Johnsonさんの著書"ゼロ・ウェイスト・ホーム”のRefuseの内容を引用します。
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「リフューズ」することで 社会からずれてしまうなどと思う必要はありません。これは私たちの日々の生活を振り返り、自分たちが関わっているこの間接的な消費、さらに私たちが集団として持っている”力”にきちんと向き合うための行動なのです。もちろんたったひとりのリフューズでごみが消滅するわけではありません。でも、その行動は「よりよい形」への需要を作り出します。レフューズは「集団の力」に基づく概念です。
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同調や対立で停止しない、発展の先にある「よりよい形」を作り出す。
そのための、まず、”言葉にする言葉を聞く”です。
言葉を待つ、ということがその前に1つありますが、それはまた別の機会に。そろそろお昼ですね。良い週末を。