どうせ歩くなら西国街道02【古江〜廿日市】
西国街道を(ちょっとだけ)57歳女が歩いた記録です。
お墓参りを済ませて出発。
いざ廿日市へ。
JR山陽本線の踏切を渡ると
草津の町に入ります。
古江から草津の町へお嫁に来た
すずさんのおばあちゃんを
しのびつつ。
このくねくね具合が
街道っぽくて好きです。
踏切をわたってすぐ右手に
鷺森神社(さぎもりじんじゃ)
10世紀に創建された由緒ある神社で
祭神は市杵島姫命と金比羅神。
両柱とも海の神です。
そして
草津といえば魚市場。
昔は電車や車に乗ってても
草津の町に入ると
魚の匂いがただよってきました。
私が子供の頃(昭和40年代)のおはなし。
またもくねくね。
つい写メを撮りたくなる。
それから
こういうのも。
草津の古い街並みを抜けて
井口に入ります。
(「いのくち」と読みます。)
海沿いの埋め立て地には
近代的なショッピングモールが並び
賑やかな雰囲気ですが
高架下のお地蔵さまが
ちょっぴり寂しそうなのは
気のせい?
駅から西の方角を見おろしてみる。
進行方向右手に見えるこんもりした山は
龍神山。
かつてはぎりぎりまで海が迫って平地がなかったので
西国街道は龍神山の峠を通っていたのですが
東の箱根、西の井口と言われるほどの難所だったので
旅人のみなさんは干潮を狙って海ぞいを歩いたそう。
つまりこの写真の線路から左は
ぜ〜んぶ海だったわけでして。
こんな感じで。
昔の旅人を見習って海沿いルートを行くか。
それとも龍神山ルートにするか。
龍神山にやってきました。
案内板の後方の上り坂が
そのまま昔の街道の姿を残しています。
あまり時間もないので
入口からちょちょいと拝んで
住宅地の中の迂回路を進みます。
何だかこういうのばっかりだな。
東海道を歩く時も
時間に追われて
いつも後ろ髪ひかれる思いで
歩いています。
最後の一本が
昭和58年まで残っていたそうですが
道路拡張のため伐採されました。
(切り株はとなりの薬局に保存されています。)
関係ないけど
向かい側にあるお好み焼き屋さん。
広島を歩くとわかりますが
この手のお店が町内のあちこちにあります。
マクドとかなかった時代には
中学生やら高校生やらが
学校帰りに食べたりして
まさに県民のソウルフード。
八幡川を渡ったら
五日市(いつかいち)の町
五日市町は
1985年に広島市と合併して
佐伯区という名前になりましたが
それまでは人口日本一の町でした。
この合併をめぐっては
推進派と反対派で
仁義なき戦いが
確かあったような記憶が。
楽々園地区の街道松
楽々園(らくらくえん)
何ともパラダイスっぽい地名ですが
昭和初期に広島電鉄が作った遊園地の名前でして
遊園地は1971年に閉園しましたが
その名前は住所表示として今も残っています。
岡の下川を渡ります。
街道には御筋橋がかかっていましたが
今はモニュメントのみ。
やっとこさ
廿日市(はつかいち)市に突入。
すぐに一里塚が迎えてくれます。
本日二つ目。
桜尾公園に残る街道松。
廿日市市内では最後の一本だそう。
このまま保存されることを
祈るばかりです。
厳島合戦の本陣となった桜尾城。
毛利家家臣桂元澄(※鶴見慎吾)の居城でした。
戦に勝った元就(※中村芝翫)は
この城で陶晴賢(※陣内孝則)の
首実験をしたそうな。
元澄の嫡孫で総理大臣となった
太郎ちゃんがこの土地を買収し
廿日市市に寄贈。
桂公園として生まれ変わりました。
関係ないけど( )内に
NHK大河ドラマ「毛利元就」の配役を
書いてみました。
個人的には「草燃える」と並ぶ名作だと
思っています。
廿日市宿本陣跡に到着。
向かい側は廿日市天満宮。
祖母がこの近くに住んでおり
お正月やお盆はよく遊びにきました。
いとこたちと
この崖を登ったのもいい思い出。
昔は地面がむきだしてて
よい感じで木が生えてて
登りやすかったんだよね。
今だったら考えられないけど
昭和の頃はみんなして
おおらかというか
いいかげんというか。
そんな時代でしたね。